本研究では、エスニック・マイノリティが民族的ナショナリズムを形成するプロセスにおいてミス・コンテストが果たした役割について照準をあてつつ、システマティックな研究をすることによってナショナリズムとジェンダーについての文化人類学的研究をおこなった。米国南西砂漠地帯に位置するナヴァホ・ネイションは、米国最大規模の先住民族人口を誇り、言語や宗教をはじめとする伝統文化を継承しながら近代化をとげた社会である。ナヴァホ社会では1950年代よりインディアン局が中心となって社会経済開発が進められた。鉱物資源開発によって雇用が促進され、道路や上下水道が整備されていき、英語による学校教育が徹底された結果、1970年代には英語話者が一般的となり、アングロ系主流社会の文化的価値観が伝統的文化観を圧倒するほどになった。このような変化に対し、ナヴァホは自分たちの民族性を代表する知性と教養、伝統文化への知識を兼ね備えた「理想的」な女性を文化・社会的指導者として選ぶことによって、民族的ナショナリズムの一端を形成していったのである。 ナヴァホ・ネイションにおけるミス・コンテストは、1952年に美人コンテストとして始められた。しかし、すぐに容姿に代表される「女性美」が審査項目から抜け落ち、伝統と近代文化をよく理解し、知性と教養、そして目的意識をもって社会問題に取り組む「指導者」として経験を積んだ女性が選ばれるようになった。近年、伝統文化への理解と実践が厳しく審査されるようになり、91年に羊の屠殺・解体という高度な伝統技術の実践が審査項目に導入された。羊の屠殺・解体は実践者の性別を問わない伝統技術であるが、主流社会への同化が進んだ現在、日常的に実践できる若者はごく少数にとどまる。共同体において共有される「シンボル」や「実践」において、ミス・コンテストが「エスニシティ」と「女らしさ」を明確に定義するものであるとすれば、容姿よりも指導者としての人間性と活動が重視され、羊の屠殺・解体という高度な伝統技術の実践が要求されるミス・ナヴァホの選考過程では、共同体のアイデンティティ形成においてジェンダーにとらわれないナショナリスト的表象が提示されたといえよう。今後の課題として、ミス・コンテストの多重的な機能に着目した研究につなげていきたい。
|