本研究では、岩手県を中心に、遺影の奉納習俗をとりあげ、遺影が奉納された死者の性格を検討し、その使用の目的の変遷を明らかにすることで、遺影の成立が国家形成の影響を指摘できるだけでなく、さらに、死の意味づけの変容、つまり、近代化の中で死後の存在を前提に安楽を祈ることから、人生の決算と生の顕彰におおきく関心が移行していることにっいて分析することを目的としている。 そこで本年度は、まず岩手県北部地域における遺影の奉納習俗の調査を行った。北部沿岸部では、野田村海蔵院において、いまでも遺影の奉納習俗が継続していることがわかり、許可を得て悉皆調査を行った。現在資料の詳細については整理中である。大まかな傾向では、現在奉納習俗を続けている地域は、沿岸部の久喜、小袖地区といった漁村集落であり、この地域は漁民の遭難などがおこると、船の模型を菩提寺である海蔵院に奉納しているなど、死者に対する儀礼が篤いことがわかった。 また北部内陸部では、かつては奉納習俗はあったものの、ほとんど現存していないことがわかった。そこで北部内陸部に隣接する、西和賀町(旧沢内村)の浄円寺、碧祥寺の調査を行い、これらの寺院においては遺影の奉納はあったが、それは岩手県中央部の北上地方の住人が初めて行ったなど、もともとその地で発生した慣習ではなく、伝播してきたことがわかった。 こうして現在分析中である個別の遺影について整理を進め、死者の属性について検討を行う予定である。 また岩手県以外の遺影の使用について、今年度は大阪の葬祭業者の祭壇のカタログを調査をおこなった。昭和10年代から現在までのカタログの撮影を行い、遺影がどのように使用されてきたかについて分析を進めている。
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