今年度は、昨年度に引き続き、日本遺留分法の沿革に関する研究を行った。 まず、日本遺留分法の母法とされるフランス民法における遺留分制度の「設計のされ方」を探るべく、ナポレオン法典編纂過程における議論を繙き、ナポレオン法典における遺留分制度は、必ずしもゲルマン法の延長線上に位置づけられるものではなく、ローマ法の影響が非常に大きいことが分かった。とりわけ、遺留分の趣旨は、共同相続人間の平等よりは、むしろ、残される遺族の生活保障であったことが明らかになった。さらに、ナポレオン法典における遺留分制度は、法定均分相続を支えて共同相続人間の最低限の平等を図る制度として設計されたわけではなく、法定相続制度との間に直接の接点を求めようとしない制度であったとの見方を示した。これらは、従来の日本の通説とは異なる見方であり、今日の遺留分制度の意義にも関わる問題である。 続いて、日本が継受した遺留分制度を知るために、遺留分制度をもたなかった日本に遺留分制度を伝えたお雇い外国人の一人、BOISSONADEの遺留分学説を19世紀フランス遺留分法学のなかで位置づけた上で、それとは一致しないBOISSONADEが日本で示した見解を分析した。その結果、BOISSONADEが日本に伝えようとした遺留分制度は、決してゲルマン法の影響を強く感じさせるものではなく、ナポレオン法典における遺留分制度そのものでもなく、19世紀フランスで一定の影響力をもつようになった共同相続人間の平等を趣旨として掲げて「強い」遺留分制度を指向する学説でもなく、比較法を得意とするBOISSONADEが当時の日本に相応しい制度として考案したものとしての側面が強いことがわかった。来年度は、このようにして編纂された日本遺留分法の趣旨をふまえて、今日の遺留分制度に関する争点について検討する。
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