本研究は、1950年代から1970年代にかけてのアメリカとヨーロッパ(英仏独)の航空機メーカーおよび政府の合従連衡を検討した。その結果、イギリスが、独自開発路線から欧州共同開発路線に転換していくものの、アメリカ軍事市場へのイギリスメーカーのアクセスを優先するために、欧州共同開発路線には転換しきらなかったことが明らかになった。欧州エアバス計画についても、イギリスが主唱したにもかかわらず、イギリスのエンジンメーカー・ロールスロイス社が、アメリカ製エアバスであるロッキード社トライスターへの航空機エンジン搭載を優先することを是認する立場から、イギリス政府は欧州エアバス計画から脱退した。その一方、欧州エアバスA300Bには、アメリカのGE社の航空エンジンCF6が搭載されることになり、米欧間の航空機開発・販売をめぐる機体-エンジン関係は複雑になっていった。しかし、アメリカ製エアバストライスターにイギリス・ロールスロイスエンジンを搭載する計画はロールロイス社の倒産により危殆に瀕していった。軍事面では、1966年のNATO危機をめぐる英米独政府間交渉の結果、西ドイツ政府は、軍用品調達において、それまでのアメリカ軍用品調達一辺倒から自主性を獲得し、イギリスとの共同開発-トルネード計画-を通じた自主開発に転換していった。軍民双方の展開を通じて、1950年代から1970年代にかけて、英仏共同によるアメリカから相対的に自立した欧州共同開発論戦は挫折し、アメリカの許容する範囲内での欧州共同開発にとどまった。
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