本研究の要は、真理の追究に偏重する「科学としての経営学」(経営科学)の特徴を明らかにすることにある。そのために本年度は、「真・美・善の統合体としての経営体」という観点から経営学の原理的考察に着手した他に、以下の研究に着手した。 それは、経営学の史的展開上、「科学としての経営学」(経営科学)と「哲学としての経営学」(経営哲学)との相即的発展を主張したM.P.Folle賃の経営思想である。 Follettは、まさに科学的管理による「作業の科学化」が進行していた状況下で、「作業の科学化」にとどまらず「管理全般の科学化」(経営科学)を唱えた。「作業の科学化」は、組織原理=機構の官僚制化をもたらした。それが、「組織と個人との統合」というFollettの問題意識へとつながっていく。その解決の方途としてFollettは、「管理全般の科学化」のみならず、その問題性を克服するための「科学的管理の哲学」(経営哲学)の必要性を指摘する(ただしその具体的内容についてFollettは述べておらず、その具体化こそ本研究の課題である)。Follettは「組織と個人との統合」を実現させる上で、「プロフェッション」という生き方に注目する。しかし官僚制化の進展には大きな問題があった。それは、当該組織体の維持を旨とする「官僚制の原理」と他者へのサービスを旨とする「プロフェッションの原理」との相克である。本研究を通じて、形式合理性を管理=組織原理とする官僚制組織にプロフェッションが組み込まれることで、「組織という他者へのサービス」(官僚制原理)を優越させ、「社会という他者へのサービス」(プロフェッション原理)が看過される「閉じられたプロフェッション」の危険性(プロフェッションの官僚制原理への包摂)を孕むことをみた。こうした視角は、こんにち盛んなプロフェッションに関する議論に対するひとつの重要な批判的視角を提供する。
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