国立公文書館および国立国会図書館において、1889(明治22)年から1954(昭和29)年までの時期における社会保険、労働者年金保険法、厚生年金保険法、簡易生命保険法、郵便年金法等に関する公文書、議会資料等の第一次史料および研究論文等の文献史料を中心に蒐集した。本年度は、史料の収集に努めたが、とりわけ第二次世界大戦終結以前の史料について、官僚、帝国議会議員、研究者等に分類し、検討した結果、以下のことが明らかとなった。 日本において社会保険は、1880年代に、まずは稼働能力のある貧民を救済するための防貧政策として認識されていた。貧民に保険料の拠出を強制し、自らの力で将来に備えさせようとする社会保険は、惰民を養成することのない国家的な貧民救済制度として官僚らの注目を集めたのである。社会保険の対象は、あくまで「小額所得者」であり、「小額所得者」は、保険料の負担能力を欠くとみなされていた。したがって、当初より必然的に、社会保険のなかでもとりわけ老齢および廃疾保険には、相当の国庫負担が必要であると認識されていた。 社会保険の一環として、公的年金が実施される以前の1916(大正5)年に政府管掌の任意保険として、間接的に適用範囲を「下級社会」に制限した簡易生命保険が実施されている。これに対しても国庫負担は検討されたが、適用範囲の制限方法が「下級社会」以外の者の加入を妨げるものではなかったことから反対が相次ぎ、簡易生命保険に国庫負担が明確に規定されることはなかった。このようなことからいえば、労働者年金保険に国庫負担が明確に規定されたのは、その適用範囲が「小額所得者」であると官僚らにみなされていた工場労働者に制限されていたからであろう。
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