2006年度は、水俣学現地研究センター(水俣市浜町)を研究拠点として、水俣在住の患者家族へのコンタクトを試みた。水俣病公式確認50年のこの年は、さまざまな記念の企画がなされており、その中でも、一部の胎児性水俣病患者が取り上げられることが多く、メディアのさまざまなアプローチが調査を困難にしたことは否めない。その中でも、「光の当たらない」在宅胎児性水俣病患者へのアプローチおよび患者家族への接近を図った。 第一に、これまでの先行研究のサーベイを行い、胎児性水俣病患者のみならず、同世代の水俣病患者へのアプローチが必要なことが明らかになった。すなわち、「胎児性水俣病」と呼ばれている人々66名は、症状が重篤で、行政による認定を経た人々であるに過ぎず、差別を恐れて隠れていた人々や比較的症状の軽い人々にまで視野を広げなければ、胎児性患者問題の総体と福祉的課題の焦点化が困難であろうということがはっきりした。 第二に、患者家族へのインタビューは、先に述べたメディアによるバイアスを回避すべく、個別的なアプローチにならざるを得なかった。特に患者組織や運動と接触のなかったH地区の認定患者へのインタビュー開始できたことは、これまで水俣病運動のなかでの患者役割とアイデンティティ形成を基礎にした障害概念仮説を再検討する上で意味が大きかった。新潟に関しては、訪問調査を今年度はできなかったが、新潟の胎児性水俣病患者Fさんに長くかかわってきた白梅短期大学金田教授が水俣来訪時に、水俣の共同訪問とヒアリングを行うことができ、新たな文献も収集できた。 第三に保健所および社協に関しては、日常的なコンタクトを築くことができているが、人事異動などがあり、詳細な調査は2007年度に持ち越すこととした。
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