本研究は、法人という設置形態に着目し、現代日本における私立高等教育機関の量的拡大の基盤が、明治40年代から大正時代にかけての私立高等教育政策とこれに対する私立高等教育機関の具体的対応のなかで、すでに形成・準備されていたことを明らかにしようとするものである。 本研究課題に基づき、平成18年度に実施した研究活動においては、1911(明治44)年の私立学校令改正に着目し、とくに本改正で私立専門学校の設置者・設置形態が財団法人に限定されたことに伴う私立専門学校の財団法人化の過程に関する研究および調査を進めた。本研究を遂行するにあたっては、まず必要となってくる史・資料収集調査を実施した。史・資料収集調査の具体的な実施対象は、国立公文書館、佛教大学、京都府立総合資料館等であった。あわせて、近代日本の私立高等教育に関する基本文献・学校史等の収集に努めた。 個別の私立高等教育機関の法人化等についての検討は、これまでに収集した史・資料をもとに、これからさらに詳細な検討を行っていかなければならないが、平成18年度中、本研究を進めるなかで明らかになったこととして、以下のようなことが指摘できる。 1911(明治44)年以降は、私立学校令改正により、私立高等教育機関は財団法人としてのみ認められることとなったが、実際には私立学校令改正以前に設置された学校が数多く存在していたため、この時期の私立高等教育機関の設置形態は、個人、社団法人、財団法人の形で混在しており、さまざまであったことが明らかとなった。また、1911(明治44)年の私立学校令改正にあわせて、社団法人であった私立学校がこれを財団法人に移行する動き、あるいは個人立の私立学校を財団法人に移行するような動きがあったのかについて確認を行ったが、これには目立った動きがあったわけではなかった。 このような状況は、私立高等教育機関を含め私立学校を財団法人として設立することが、設置者にとって、財務的にみても非常に困難であったことの一面を示しているといえる。
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