平成20年度の研究では、1920年代から30年代にかけてのジョン・デューイが探究した学校の公共性形成をリベラリズムの再構築と再概念化の角度から考察し、民主主義と公共性を原理とする彼の学校改革の構想と実践の展開過程を明らかにした。まず、1929年の世界恐慌から30年代にかけてのりベラリズムの状況の中でのデューイの活動を、彼が関与した独立政治活動連盟とピープルズ・ロビーの活動から分析した。特に、彼がレッセフェールとニューディールの両方を批判し、民主主義と教育の節合を促したことを考察した。次に、デューイが協同的な学習活動と教育の自由を基盤に「教育の自律性」を樹立する角度から、民主主義の再生を求めたことを描出した。そこでは、「教育の自律性」を「国家的システム」としての学校の中心課題に位置付けられていた。さらに、デューイが公共性構想の淵源として捉えた芸術の観念とその実際活動について、彼が自ら深く関与したバーンズ財団での芸術教育の取り組みから検討した。本研究の意義は、デューイとその周辺の思想家との交流と対立を考察することを通じて、リベラリズムと民主主義の学校改革の思想、政策、実践の複合的、多層的な成立、展開過程を明らかにしたことにある。これによって、先行研究では、しばしば予定調和的に捉えられてきたリベラリズム、民主主義、国家、市民性などの概念の中に孕まれた矛盾と相克を実践活動のレベルから叙述したことは、極めて重要な意味を持つと考えられる。
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