調査を通じて、以下の3点が明らかになった。 1) 親の会では、自らの体験を通じて入手したローカルな知識が重視されていた。会では「経験した者にしか分からない」と、同じ悩み・苦しみを共有する当事者同士の結びつきが確認・形成される場面が頻出した。この種のやりとりは不登校問題への対処法を共有する機能を有していた。個人的な経験談には、子どもが学校に行かなく/行けなくなる時に生じる様々な困難への対処法が含まれており、参加者はそれを参考に今後の指針を模索していた。 2) 他方で、親の会では専門家の知識も活用されていた。専門家の助言が紹介されるほか、教師や適応指導教室の職員が例会に参加し、専門家の見解が直接披露されることもあった。ただし、専門家が発言する際には一個人としての見解であることが強調される。これは「当事者中心主義」との抵触を避けるためだと思われる。会で用いられる専門知識は、臨床心理学的な知識を中核としつつ、学校教育に関する実務レベルの知識、あるいは、軽度発達障害に関する精神医学知識が含まれていた。 3) 知識がいかなる文脈で意味を持つかは、例会の性格と会に参加した時期によって異なっていた。全員が利用するわけではないが、適応指導教室に付置された親の会では、施設利用のインテークとして機能するやりとりが時折生じていた。また、会を問わず「ベテラン」の人々と比較して新参者には1)早急な解決を目指す、2)不登校経験者を対象にした機関・進路先を積極的に利用する、3)軽度発達障害をめぐる知識と言説を用いる傾向がみられた。これらは予期せぬ事態に動揺していることに起因すると思われるが、それだけでなく、精神医学の知識と臨床心理の知識が接合しながら進行する「心理主義化」の動きと、進路をめぐる問題へと課題の構図が変化するなかで「不登校トラック」が整備されるというマクロな状況変化が反映しているように思われる。
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