研究概要 |
平成20年度は、『〓湘耆旧集』(道光24年[1844])から嶽麓書院に関する詩を抽出した。『〓湘誉旧集』は前編40巻本編200巻からなり、清の〓顯鶴が湖湘先賢のすぐれた詩を編纂したものである。また、『重修嶽麓書院圖志』(10巻, 明民万歴10年[1590])、『新修長沙府嶽麓書院志』(8巻, 鏡水堂版, 康煕26年[1687])、『嶽麓詩文砂』(道光10年[1830])、『続修嶽麓書院志』(4巻, 半学斎版, 同治6年[1867])、『〓湘耆旧集』(道光24年[1844])に散見される「飛来石」や「禹碑」に関する詩文を抽出した。「飛来石」は嶽麓山の第二峰雲麓峰の山頂にあり、その上には亭が建てられ、南嶽衡山を拝することのできる場所、「拝嶽石」となっていた。嶽麓書院で教える者、学ぶ者は書院背後にひかえる嶽麓山に特別な思いを抱き、たびたび登っていたようである。その際、「飛来石」の上から中国五嶽の一つ南嶽衡山を拝し、衡山に連なる嶽麓山という自らの於いてある場所を体認していたと考えられた。また、禹碑は嶽麓山の第一峰禹碑峰山頂に位置しており、『長沙府志』、『重修嶽麓書院圖志』の図では、嶽麓書院を貫く中心軸の山頂に描かれている。禹はよく知られているように夏王朝の始祖として、儒家によって理想の帝王として尊崇される伝説上の聖王である。治水事業を完成し山川を整えたと伝えられる。そうした禹の碑が書院を貫く中心軸の嶽麓山頂にあるということは、書院にとって重要な意味をもつと考えられた。風水図的な図に、禹碑が嶽麓書院を貫く中心軸の山頂に描かれていることからも、禹碑によって嶽麓書院の背後に意味をもたせようとする意図が窺えた。これらの分析結果については、2009年度日本建築学会大会の学術講演発表において発表する。
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