構造情報に基づく合理的薬物設計(SBDD)がほとんど成果を挙げて来なかった主なる要因は、水素結合やイオン結合の最適化といったエンタルピーの寄与のみを過大に評価して化合物の改良を試みてきたためであると思われる。創薬において重要な薬剤候補物質と標的物質の結合の強さを示す平衡定数KはlnK=-ΔG/RTで表され、ΔG=ΔH/TΔSで表される熱力学の基本法則に立ち返れば、合理的な創薬手法の実現には結合エンタルピーΔHだけでなく結合エントロピーΔSの考慮が不可欠であると考えられる。ところが、ΔSは溶媒分子を含めた系全体の自由度の大きさを示す物理化学量であり、算定が困難であることや、ΔHとΔSは互いに依存し、独立した物理化学量でないことから、適度なΔGが要求される薬を創製するにあたってΔSを調整するには具体的に何を行えば良いのか見出せてこなかった。本研究では創薬標的蛋白質として、ヒト由来核内レセプターLRH-1を選択し、LRH-1と種々のリガンドとの相互作用に伴うΔHとΔSを等温滴定型熱量計(ITC)から実験的に求めるとともに、各複合体の立体構造をX線結晶解析により決定し、両者を融合させることによってΔGを制御する要因を明らかにし、従来のSBDDを補うようなより合理的なドラッグデザイン法の創出を目指している。これまでにLRH-1との相互作用に重要と言われているモチーフを含むペプチドを6種類合成し、ITC実験を行った結果、すべてについてΔHが負、ΔSが正であることが分かった。また、モチーフの違いによって、ΔHやΔSの値が大きく異なることが明らかになった。ΔSが正になった理由としては、複合体形成に伴う水分子の放出が考えられる。このことを裏付けるために、現在、複合体の構造が既知のものについて振動式密度計を用いて偏比容測定を行い、相互作用に伴う水和の程度の変化を見積もっているところである。
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