心臓移植を待機するという「病いの経験」を患者の日常性や文脈に即して理解し、看護への視座を導き出すことが本研究の目的である。「病いの経験」を、個人の単なる主観として理解するのではなく、研究者と参加者の相互主観的な間柄によって探求しようとする試みであり、インタビューで語られた経験を、間主観的な表現として了解し、解釈した。平成19年度は2名の心臓移植者へのインタビューを実施し、個々の「病いの経験」の意味を解釈した。ここでは、1事例;Aさん男性の「病いの経験」について報告する。1)心臓移植を待つことの意味;発症まもなく自らの死を覚悟せざるを得なかったこと、長期入院による日常世界からの断絶と自分らしさや生きがいの喪失、その状況下で自己のアイデンティティを保つこと、希望は「持ちようがない」中で心臓移植を待機し続けるというAさんの「病いの経験」は、脳死臓器というかつて存在しなかった新たな<いのち>の位相によってもたらされた苦悩である。しかしAさんは苦悩の只中でも、その泥沼に陥ることなく、落ち込みを反転させ、脱出しようと常に「いまーここ」を主体的に生きていた。2)生命の再生;Aさんは、海外で移植を受けて元気に「びゅんと立って」た青年の姿を見て海外渡航移植の決断をする。この青年の姿は不確かだった希望が、現実的なものとして、Aさんの目の前に立ちあらわれた。3)新しい生命の始動;移植を待機している時、移植が現実味を帯びてきた時、移植を受けた現在では、Aさんのドナーへのまなざしは変化していた。また、<いまーここ>で生きるAさんにとって、ドナーの死を引き受け、ともに生きていくことが、Aさんの新たな生命の始動であった。4)生命の贈り物の意味;ドナーファミリーの提供後の苦悩と移植医療に対する失望を耳にしたとき、「えぐり出されたショック」と動揺した。しかし、有意義にいまを生きることこそがドナーへの感謝の形であり、課せられた使命なのだと、新たな生命によってもたらされた意味を見いだしていた。
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