今年度は中国の東北三省、具体的には黒龍江省のチチハル市、遼寧省の鳳城、岫岩などの地域で、現地における研究協力者と共同で調査を行い、康煕28年に黒龍江地域から吉林、盛京(現在の藩陽)へ安置し八旗に編成したバルガ・モンゴル人の子孫及び、満州八旗、蒙古八旗に含まれていたモンゴル人の子孫の存在を明らかにした。彼らのバルガ・モンゴル人の一部は清朝の崩壊後、しばらく旗人であることを隠し、54年の民族識別の際には満族として登録して、文化大革命以後に自分の民族をモンゴル族に変えた。これは現代中国による民族的枠組みが定着するまでの半世紀間、こうした蒙古旗人の人々の身分的不安定性を立証する事例として重要な意義を持つ。 内モンゴル自治区フフホト市は清朝時代の綏遠将軍の本拠地として八旗が駐屯していたところである。ここにおける調査では、トメド・モンゴル人という巨大なモンゴル人コミュニティに取り囲まれながらも清末まで旗人として暮らした蒙古旗人は、中華民国時代には旗人として弾圧を受け、中華人民共和国に入ってからは満族との一体性を保持しながらも最終的にモンゴル族の行列に加わったという複雑な歴史を調べることが出来た。つまり彼らは内モンゴル自治区の首都という町にいながらも自分たちの出自であるモンゴル人集団とは別の枠組みに生きるという状況に長年置かれ、その後には約半世紀をかけてモンゴル人としての本来のアイデンティティを復帰させることが出来た。 史料の面では、東洋文庫において「北京ウンドル王府のモンゴル語文書記録帳の写本」を分析し、論文を発表した。またフフホトにおいても綏遠八旗に関する資料を多く入手し、現在分析している。
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