ミャンマー、タイ、ラオス、中国雲南省が国境を接する一帯(タイ文化圏)にはタイ系民族、チベット・ビルマ系民族、カレン系民族、モン・クメール系民族、ミャオ・ヤオ系民族、漢族など、言語系統を異にする多くの民族が長年にわたって相互に接触を保ちながら生活してきた。一方、政治的な不安定さと地理的な悪条件のため、科学的な言語データがきわめて乏しく、どこにどのような言語が存在するのかさえよく分かっていない状態が続いていた。このような未知の状態を改善し、存在するあらゆる言語の基礎データを収集して、タイ文化圏の言語状況を広く理解できるような「タイ文化圏言語事典」を編纂するための準備を目指した本研究計画は、新型コロナ感染症のパンデミックにより、今年度も現地での新たなデータ収集はできなかった。しかし、年度末になりタイでの現地調査が可能になり、現地で口述テキストの文字化と分析を進めることができた。また、これまでの調査で蓄積してきた言語データを整理して公開する作業は想定以上に進展し、昨年度に引き続き7種類の言語データを公開することができた。これらはいずれもカレン系の言語で、これまで全く知られていなかった新発見言語ばかりである。その中でもスーバオ語は極めて重要で、この言語にはカレン祖語の三番目の開音節声調が残されている。カレン祖語に三番目の開音節声調が存在していたのか否かが長年世界で論争になっていたが、本研究計画によって、第三の開音節声調が残されているドーラン語、タオクー語の発見に続き、このスーバオ語が追加されたことで、カレン祖語の開音節には三つの声調が存在していたことが明白になり、カレン系言語の歴史音韻論研究に大きな貢献をすることができた。
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