研究課題/領域番号 |
18H01189
|
研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
水野 大介 九州大学, 理学研究院, 教授 (30452741)
|
研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
|
キーワード | アクティブマター / 非平衡メカニクス / 非平衡散逸 |
研究実績の概要 |
多くの蛋白質は、特定の生化学反応を触媒する。その際に、例えば化学結合の変化により得られた力学エネルギーを用いて自らの形態を変化させて、基質分子との立体構造の整合性(鍵と鍵穴の関係)を調整する。モーター蛋白質は、自らの形態変化を力学的仕事に効率的に変換できる分子である。他方で最近、分子モーター以外の通常の蛋白質の拡散も、酵素反応に伴うactiveな形態変化によって促進されることが分かった。つまり、モーター蛋白質以外の一般的な蛋白質の酵素活性も、細胞質を流動化させる原動力になり得るが、これを細胞外で再現するためには代謝を安定して維持する工夫が必要である。そこで、高い代謝活動を示す細胞質の化学的・生理的条件を長時間安定させられる試料セルを作製した。厚さ100μm程度の薄い試料セルの上面を半透膜で覆い、その上部に細胞培養液を溜めた。これにより試料中の代謝生成物と培養液中の生理活性を持つ小分子や酸素を半透膜を介して交換させた。その結果、ほぼガラス化に近い濃度まで濃縮したバクテリア懸濁液中で、1昼夜以上の長時間バクテリア遊走を保つことに成功した。さらに、アフリカツメガエルの卵や、大腸菌からの抽出液も用いて、試料中の揺らぎと応答が変化する様子をマイクロレオロジー観測した。これらの試料中において、さらに、微生物による代謝活動やアクチン細胞骨格とミオシンモーターによる力生成を制御しつつフィードバックマイクロレオロジー(FBMR)計測を行った。駆動分子を細胞質モデルに混入してFBMR計測を行い、ATP濃度、混み合い、代謝系統、等の幅広い制御パラメータを系統的に変化させて、細胞質モデルのメカニクスを定量した。さらに揺動散逸定理の破れから、試料中に注入された力学的な非平衡散逸量を定量し、微生物による鞭毛モーターの働きによって生成される量として、適切な値を得ることに成功した。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
マイクロレオロジー計測では、試料中のドリフト(遅い定常流動)や低周波数ノイズを可能な限り取り除くことが重要であるが、これを非平衡系で実現することは極めて困難であり、非平衡力学の実験的研究が行えない最大の要因となっている。特に、生物をモデルとした非平衡系の代謝活動を維持する交換チャンバーでは、わずかな半透膜のたわみ等、試料セル自体の力学的不安定性が加わり、試料のドリフトを抑えることが困難である。我々は、長年のマイクロレオロジー計測の経験に基づき、これらの問題を解決した。超濃厚な大腸菌懸濁試料においてほぼ無制限の期間に渡って活発な遊走状態が継続することを確認するとともに、本年度は巨大な非平衡揺らぎ(生体乱流状態)のもとで、フィードバックマイクロレオロジー計測を行った。乱流揺らぎに追随しつつ、アクティブ・パッシブマイクロレオロジー計測によりプローブ粒子の揺らぎ・応答を観測することで、生体乱流状態では非平衡揺らぎに伴いガラス状態の構造緩和に本来寄与しないはずの高周波数域の粘弾性も流動化することを見出した。また、低周波数域における揺らぎ・応答関係(揺動散逸定理)の破れを解析することで、非平衡系を特徴付ける量である単位時間当たりのエネルギー散逸を定量化した。 近年、遊走大腸菌懸濁液は、多彩な集団運動を示すアクティブマターの典型例として、個々の大腸菌の遊走の動力学・形状や相互作用から巨視的な集団運動パターンが生成されるメカニズム(非平衡系の統計力学)の研究が進められてきた。我々は、3次元空間中の集団運動を長期に渡り安定的に生成し、巨大な揺らぎを伴う乱流中でのプローブ追跡技術により揺らぎ応答観測を実現することで、遊走パターンの解析に留まらない、”非平衡力学系としてのアクティブマターの本質”に迫る実験系の開発に成功した。したがって、本研究は概ね順調に進展していると言える。
|
今後の研究の推進方策 |
我々は、これまで代謝活性を失わせた細胞抽出液の力学特性を計測することで、細胞の力学特性が主に生体高分子混みあいで決定されることを明らかにしてきた。現在我々は、開発した生理活性物質交換セルを用いて、細胞骨格、およびモーター蛋白質を失活させたアフリカツメガエルの細胞抽出液を調整して、ATP濃度により代謝を系統的に変化させつつマイクロレオロジー計測を行い、ATP濃度に依存して揺らぎと応答が変化する様子を観測している。生きた細胞質を力学的非平衡状態に駆動する分子実体の候補の筆頭としては、生化学的非平衡状態を力学的なエネルギー散逸に効率よく変換させる機能を備えた機械酵素(モーター蛋白質)が挙げられる。他方で近年、モーター蛋白質以外の一般的酵素反応も、生化学反応を力学揺らぎに変換している可能性が、主に理論的考察により指摘されてきた。現在のところ、こうした予測とは逆に、細胞質の力学特性は代謝活動によってガラス化が促進される結果が得られている。アクティブガラス研究分野では、混み合い試料の流動化に至らない程度の非平衡揺らぎが、かえって試料のガラス化を促進させることが指摘されており、我々の観測結果は、こうしたガラス研究における知見とも整合する。従って、今後は、細胞質混み合いの根源的要素である一般的な蛋白質・酵素からなる濃厚ガラス状態と、希薄ながらもこの混み合い状態を強力に力学駆動する細胞骨格―モーターの複合モデル系のマイクロレオロジー観測を行うことで、生命の非平衡力学の理解に資する実験的知見を得る。
|