研究課題
本年度は以下の4つの項目の研究を主に行った。(1)成体殻と幼生殻に含まれる貝殻基質タンパク質(SMP)の系統学的比較、(2)Wnt促進剤を用いたWnt遺伝子の貝殻形成への関与の分析、(3)マイクロインジェクションによるクサイロアオガイ(Nipponacmea fuscoviridis)胚への遺伝子導入の技術開発、(4)L. stagnalisの貝殻基質タンパク質(SMP)遺伝子の発現非対称性を利用した貝殻形成で重要なSMPの同定。(1)では二枚貝類のカキ(Crassostrea gigas)とアコヤガイ(Pinctada fucata)のそれぞれの成体殻と幼生殻に共通して含まれる3種類のSMPの系統学的比較を行った。その結果、軟体動物殻体に普遍的に含まれていることからこれまで古い起源(カンブリア紀)を持つと考えられていた炭酸脱水酵素ドメインを含むSMP(CA-SMPs)が、これら2種の種分化後というかなり最近になってから成体殻と幼生殻でそれぞれ独立にSMPとして進化したことを明らかにした。(2)では貝殻が形成されるトロコフォア期やベリジャー期に胚をWnt促進剤で処理することで生じる形態変異(貝殻がらせんに巻かず、小型で傘型の貝殻になる)が貝殻のら環拡大率の変化に起因すること、すなわちWntが貝殻成長におけるら環拡大率の制御に関与している可能性が高いことを明らかにした。(3)では、当初実験材料として想定していたヨーロッパモノアラガイ(Lymnaea stagnalis)の胚への遺伝子導入が極めて困難であることから、今年度新規に研究を開始した。すでに胚への顕微注入によりローダミン色素が胚に取り込まれることを確認した。(4)では、L. stagnalisの右巻系統と左巻系統の貝殻プロテオームの比較を行うための右巻系統と左巻系統の交雑実験を行った。
2: おおむね順調に進展している
貝殻形成の分子メカニズムは未だ不明な点が多い。その解明において、どのような分子、特にタンパク質が重要な役割を果たしているのかをリストアップし、実際にそのタンパク質の生体内での働きを確認するアプローチは欠かすことができない。その中で、比較系統学的な解析により、CA-SMPsが独立に複数回進化したこと、すなわち、収斂によりCA-SMPsが複数の系統に獲得されたことを解明できた。収斂進化は適応的な進化、すなわち機能的に重要な性質の進化で典型的に見られる現象であり、CA-SMPsがそれだけ貝殻形成において機能的に重要であることを意味する。また、機能促進剤・機能阻害剤を用いた実験により、シグナル伝達因子であるWntが貝殻成長の重要なパラメータである「ら環拡大率」の制御に関与している可能性が高いことも明らかにできた。今後これらの生体内での機能を遺伝子ノックアウト等のアプローチで確かめる必要があり、そのための基礎として、胚への遺伝子導入の技術を確立する必要があるが、その問題点と解決策も明らかにしつつある。これらの理由から本研究課題はほぼ順調に進展していると考えられる。
貝殻形成において重要なSMPの推定の研究では、昨年度研究を進めた巻貝の左右非対称性を利用したアプローチが有効だと考える。今後は昨年度まで行った右巻系統の外套膜の左右比較だけでなく、L. stagnalisの左巻系統の外套膜におけるSMP遺伝子発現の左右比較と、L. stagnalisの右巻系統と左巻系統の貝殻プロテオームの比較を行う。この解析では、実験室で維持している右巻系統と左巻系統を1回交配させた後に、再度右巻系統と左巻系統をそれぞれ得ることで、右巻系統と左巻系統のゲノムのバックグラウンドを揃える必要があるため、その作業を今年度行った。今後この研究を進めることにより、貝殻形成に重要なSMPの同定をさらに進めることができると同時に、左右性の本質に迫ることもできると考える。Wnt促進剤によって生じた変異個体についてはCTスキャンによる貝殻形態の詳細な観察を行い、理論形態モデルに照らし合わせて、どの成長パラメーターにWntが影響しているかの詳細な解析を進める。同様の解析をdpp遺伝子の阻害剤により生じた変異個体についても行うとともに、FGFやNotch等の他のシグナル伝達因子についても同様の解析を進める計画である。これらの貝殻形成への関与が疑われる遺伝子産物の機能解析については、CRISPR/Cas9を用いて遺伝子をノックアウトすることにより研究を進めたい。そのためには、いかにして遺伝子コンストラクトやRNAを胚に導入するかが鍵を握る。今後は今年度開始したクサイロアオガイを用いた遺伝子ノックアウトの研究を進めるとともに、世界中の同業者が抱えているL. stagnalisへの遺伝子導入に関しても、囲卵腔への顕微注入の条件検討、ePore等の新しい遺伝子導入技術の応用等により問題の解決を図りたい。
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