第一大戦後の日中経済構造の変化によって、日本軽工業の中国への生産拠点の移動が起こった。本研究は、このことが日中関係にどのような変化をもたらしたのかを明らかにしようとするものである。 従来の研究は第一次大戦後の日中関係を、高まる中国ナショナリズムを受けて対立を深める関係として描いてきた。その一方、在華紡をはじめとする大企業が中国ナショナリズムに妥協し、中国社会との協調関係の構築を志向していたことも指摘されてきている。申請者は後者の研究成果に依拠しつつ、こうした実態がどのように日本政府の外交政策に反映されたのかを明らかにしようとしている。 今年度は「治外法権撤廃・内地開放論の経済的背景――中国「本部」を中心に」として、以下の内容を論文として発表した。 第一次大戦期の中国における軽工業の発展により、中国政府は戦後、国際会議の場において輸入関税の引上げを要求するようになった。このことにより、日本企業は生産拠点の対中移動を余儀なくされた。しかし既存の租界制度・治外法権制度は租界(居留地)における貿易活動を主たる目的として形成されたものであり、工場経営を行うためには制度的限界が存在していた。おりしも戦間期は中国政府が国際会議の場で不平等条約改正を要求しており、この交渉に臨む日本政府の選択肢の一つとして、中国に駐在する日本外交官の中から、治外法権撤廃と引き換えの中国内地開放が提言されるに至るのである。 こうした提言がどのように実際の日中交渉に生かされたかについては、今後の課題としたい。
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