ランシエールの芸術家論の検討を行った。具体的に取り上げたのは1996 年の『マラルメ』、2003 年の『イメージの運命』、11 年の『アイステーシス』におけるマラルメ論である。ランシエールは既存のマラルメ解釈の傾向――虚無への直面という精神的危機の中で絶対的な理想を追求した高踏的・形而上学的詩人としてのマラルメ観――に反対し、むしろ同時代の風俗や社会情勢に鋭く意識的な詩人としてマラルメを捉えた上で、マラルメのテクストに、詩によって超越的イデーを目指すのではなくむしろ現実の日常的なものからイデーを組み上げるという、いわば下からの詩作術を見て取っている。それを踏まえ、ランシエールのマラルメ解釈が、アラン・バディウ、カンタン・メイヤスーを初めとするフランス現代思想に特徴的な形而上学的マラルメ理解に対するアンチテーゼとしても機能していることを明らかにした。さらにこのマラルメ解釈の検討を通じて、これからの研究課題に結びつく以下のような成果を得ている。すなわちランシエールは『イメージの運命』においてはマラルメの詩作をデザイナーの作業と重ね合わせて論じ、『アイステーシス』においてはマラルメがそのバレエ論において芸術家としての主体性を否定したダンサー(ロイ・フラー)を美的体制における範例的芸術家として描き出している。偉大な詩人とされてきたマラルメ/非芸術とされてきたデザイナー・芸術家とみなされていなかったダンサーの優劣を逆転させるこうした挙措はまさに、ランシエールが美的体制における芸術の政治性として論じた諸ヒエラルキーの撹乱に重ね合わせることができる。つまりランシエールは2000 年代以降の自身の芸術思想において、既存の芸術論・芸術史に抗するかたちで、美的体制に特有の政治的実践を行っているのである。
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