研究課題/領域番号 |
18J20474
|
研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
山形 美有紀 京都大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
|
研究期間 (年度) |
2018-04-25 – 2021-03-31
|
キーワード | ハンス・メムリンク / 初期ネーデルラント絵画 / ケルン派絵画 / 二連板 / 黙示録 / 〈聖女に囲まれた聖母子〉 / 〈神秘の結婚〉 / 〈薔薇園の聖母子〉 |
研究実績の概要 |
当該研究員は2019年5月の美術史学会全国大会にて、メムリンク《聖ウルスラの聖遺物箱》(ブルッヘ、メムリンク美術館)に関する口頭発表を行った。この発表は、修士論文の内容に加え、同年3月にドイツ・ベルギーで行ったフィールドワークの成果を凝縮したものである。同年10月、京都大学とウィーン大学が共催した国際ワークショップに参加し、上記内容をもとに、英語での口頭発表を行った。2020年または21年、美術史学会の学術雑誌『美術史』に、《聖ウルスラの聖遺物箱》に関する論文の投稿を予定している。 今年度はメムリンク《ジャン・ドゥ・セリエの二連板》(パリ、ルーヴル美術館)を新たな研究対象に据えた。本作品の左パネルに描かれた〈聖女に囲まれた聖母子〉(Virgo inter Virgines)と呼ばれる図像をめぐっては、これまでネーデルラント起源説とドイツ起源説が論議されてきた。そこで本研究では、後者の妥当性を立証するとともに、この図像をドイツからネーデルラントに持ち込んだ立役者がメムリンクである可能性を指摘した。両地域間の美術交流は本研究の考察課題の一つであり、《セリエの二連板》はそのモデルケースとして資するのである。 2020年2-3月には再び渡欧し、新型コロナウイルス流行に伴う制約下、可能な限りの文献収集と作品調査を行った。ベルリン国立博物館・絵画館では、15世紀前半のヴェストファーレン地方で制作された〈聖女に囲まれた聖母子〉の絵画数点を調査し、ドイツ起源説を裏付ける有力な物証を得た。さらには翌年度以降の研究の予備調査として、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン《聖ヨハネ祭壇画》、メムリンク《薔薇園の聖母子の二連板》を実見した。 その傍ら、アウトリーチ活動の一環として「ハプスブルク展」(2019-20年に国立西洋美術館で開催)の図録作成に携わり、出展作品5点の解説文を翻訳させていただいた。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
私的な祈りを媒介する二連板では、概してイコン的な画像が好まれ、物語場面の挿入は珍しい。しかし《セリエの二連板》右パネルには、異例にも、〈福音書記者聖ヨハネの黙示録〉〈聖ゲオルギウスの竜退治〉の物語場面が精緻に描き込まれた。イコンとナラティヴが交錯する《セリエの二連板》は、本研究のテーマである「物語表現と祈祷の関係」を紐解く端緒となりうる。そこで本研究では以下2つの方法論をとり、これまで等閑視されてきた図像プログラムの解明を試みた。 第一に、本作品に描かれた聖カタリナ・聖アグネス・福音書記者聖ヨハネは、キリストと神秘の結婚を遂げる花嫁と見做されたため、合理的な聖人選択だったと言える。その裏付けとして当該研究員は、先行研究を手がかりに、これら3聖人の〈神秘の結婚〉にかかわる板絵・彫刻・写本彩飾を網羅的に分析した。 第二に《セリエの二連板》では、聖アグネスと洗礼者聖ヨハネのアトリビュートである子羊のモチーフ、聖マルガリタ伝・聖ゲオルギウス伝・黙示録に登場する竜のモチーフが、左右パネルを越えて対応関係にある。たとえば「黙示録の女」は教会(エクレシア)を、天使に追撃される竜は異教を象徴するが、聖ゲオルギウス伝の王女と竜も、それぞれ教会と異教の権化と考えられてきた。メムリンクは、当時の神学理論を踏まえ、子羊と竜のモチーフを巧みに織り交ぜることで、左右パネルの図像に有機的連関を作り出したと結論付けられる。 香辛料商人として活動した世俗男性ジャン・ドゥ・セリエが、敢えて女性的な〈聖女に囲まれた聖母子〉の絵画を所望した理由も、ジェンダー論的視座から一考に値する。当該研究員は、本図像の典拠とされる旧約聖書の『雅歌』に、果実や薫香料の名称が頻出することに着目した。『雅歌』との類推から果実や草花の芳香を想起させる本図像は、食料・香草・薬草を商う注文主の職業柄に、ふさわしい選択だったと推察される。
|
今後の研究の推進方策 |
海外渡航の制約を受け、翌年度の大半は、論文執筆、学会発表の準備、文献の精読など、国内での研究活動に充当する。 翌年以降は《セリエの二連板》に関連して、《聖ヨハネ祭壇画》(ブルッヘ、メムリンク美術館)および《薔薇園の聖母子の二連板》(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)の個別研究に着手する。 メムリンク《聖ヨハネ祭壇画》の中央画面は、〈聖女に囲まれた聖母子〉の図像に、二人の男性聖人を付け足すかたちで構想された。右パネルに描かれた〈福音書記者聖ヨハネの黙示録〉は、《セリエの二連板》に描かれた〈黙示録〉と同様、教会の勝利という意味内容を伝達する。左パネルに描かれた〈洗礼者聖ヨハネの斬首〉は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン《聖ヨハネ祭壇画》を視覚源泉とする。 メムリンク《薔薇園の聖母子の二連板》は、《セリエの二連板》と同様、ドイツ発祥の〈薔薇園の聖母〉がネーデルラントでいちはやく受容された事例である。メムリンクは《薔薇園の聖母子の二連板》の構想にあたり、ロホナー《薔薇園の聖母子》(ケルン、ヴァルラフ・リヒャルツ美術館)を参照した。すでにロホナーは《薔薇園の聖母子》において、当時の神学理論を踏まえ、聖母の光輪に星を散りばめるなど、聖母を「黙示録の女」と同一視する表現をとっている。メムリンクが《セリエの二連板》において、左パネルの背景をなす薔薇園と、右パネルに登場する「黙示録の女」を組み合わせたのも、同じ神学的根拠に基づくと考えられる。二人の画家による〈薔薇園の聖母〉の比較検討を通じて、《セリエの二連板》の図像プログラムにも新たな光が照射されるだろう。この知見をもとに、翌年以降の美術史学会で《セリエの二連板》に関する口頭発表を行うべく、準備を進めたい。なお、本稿で言及した全作品(《セリエの二連板》を除く)の実見調査はすでに完了しているため、その成果を遺憾なく発揮できると見込まれる。
|