研究課題/領域番号 |
18J21039
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
成澤 柊子 東京大学, 法学政治学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2018-04-25 – 2021-03-31
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キーワード | 里親制度 / 児童福祉行政 / 児童保護 |
研究実績の概要 |
徒弟制とは異なる形での公的里親制度の萌芽が見られるのは日米英三カ国ともに19世紀後半だが,その後の発展の度合いには差異が見られることに着目し,制度の歴史を辿った.その結果,以下の知見を得た.イギリスでは救貧院への混合収容の反省から,児童のみを収容する施設及び里親制度が救貧法において誕生した.しかし,社会的影響への懸念から里親委託対象の孤児・棄児への限定と,里親制度の適切な運用への不安からあまり普及せず,救貧法行政における児童保護は公立施設が中心となった.救貧法以外の児童保護分野では比較的多く里親制度の利用が見られたが,その規模は小さく,全体として戦前のイギリスでは里親制度の発展は限定的なものだった.1948年児童法によって児童福祉行政が本格化し,各分野の里親制度が統一され,里親への委託が原則されたことでようやく施設ケア中心の状態からの転換が見られた.アメリカでは,州による児童福祉行政の開始とともに里親制度が広まったが,当初その規模は限られており,児童保護の中心は民間施設への入所となっていた.ところが大恐慌によって施設が逼迫したことから,児童保護需要に対応するために公的里親制度が拡大していった.さらに,大恐慌の影響で財政基盤が弱体化し,自律性を失って従来のケアの継続が困難となる民間施設が生じたことが施設ケアの減少,ひいては里親制度の拡大に繋がった.他方,日本でも公的里親制度に類する制度が明治初期から存在したが,遅れて登場した民間施設に児童保護の中心が移り,また公私機関が関与しない私人間での児童の委託も盛んであったことから,その発展は見られなかった.さらに,公的な児童保護法制を生み出そうとする動きはいずれも挫折,あるいは不十分なものに留まったために,制度としての里親が実質存在しないまま戦後を迎えた.
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
COVID-19の感染拡大により,国内外の図書館等での資料収集に支障が出たものの,利用可能な資料を駆使することで,三カ国の里親制度の歴史を同一の視点から比較することができた.比較を通じて,日米英のいずれにも19世紀後半から公的機関による里親制度が存在していたが,施設ケアの限界が存在していたか,それによって里親制度の利用が必要とされていたか,その切迫度の違いによって里親制度の発展には差異が見られることが明らかになった.
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今後の研究の推進方策 |
今後は,第三者による養育の安全性を確立する取り組みがなされていたかという点から,公私機関によるものではない私人間での児童の委託への規制に注目して,三カ国の比較を行う.これは,戦後の日本の里親制度の開始にあたって里親による養育が危険だと見なす風潮が存在し,里親制度への警戒がなされていたことから,その背景を明らかにするためである.
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