研究課題/領域番号 |
18J22748
|
研究機関 | 京都大学 |
特別研究員 |
趙 相宇 京都大学, 教育学研究科, 特別研究員(DC1)
|
研究期間 (年度) |
2018-04-25 – 2021-03-31
|
キーワード | 自主性 / 民族 / 国家体制 / 記念日報道 / 抗日 / 反日 |
研究実績の概要 |
2019年度は、①3・1節や8・15光復節に関する研究成果を去年に引き続き学会誌に投稿し、掲載が認められた(「3・1節と8・15光復節の報道史―日韓国交正常化を巡る「民族」と「国家体制」」『マス・コミュニケーション研究』第96号)。なお、去年の3・1節の報道に関する研究成果を日本における「反日」言説と比較分析することで、日韓の「反日」言説の差異についても考察し、同成果を国際シンポジウムで倉橋耕平とともに共同発表した(「韓国の「反日」/「反日」の日本―アンチ日本をめぐるメディア言説の比較分析」第25回日韓国際シンポジウム、漢陽大学校、2019年8月)。 ①では、「自主性」の問題が「民族」と「国家体制」間の緊張関係のなかで展開されたことが明らかになり、対日関係や感情もまた「民族」の「自主性」を重視するのか(3・1節報道)、北朝鮮との対立や経済成長といった「国家体制」の「自主性」を重視するか(8・15光復節報道)でその捉えられ方や現れ方が異なることが提示された。②では、3・1抗日独立運動100周年を迎え、韓国におけるその言説構造がこれまでの「自主性」の強調と大きく異なるものではないことを指摘し、単純に「抗日」の記憶を想起することが「反日」の肯定につながるわけではないことを示した。日本では、韓国社会における「抗日」の記憶の想起を直ちに「反日攻勢」の強化として受け止める傾向にあり、その認識を是正し、冷静に韓国社会を見つめるためにも、「抗日」の記憶がいかに韓国社会で継承されてきたのか、そのコンテクストを綿密に追う必要性があることを指摘した。「自主性」の強調は、確かに「反日」と結びつくこともあったが、3・1節と8・15光復節報道では、むしろ「民族主義」の矮小化を避けるためにその相対化が試みられたり、「国家体制」の重視のなかで「反日」との距離が明確に示されたりしてきたのである。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
2019年度の前半は学会誌へ投稿や国際シンポジウムでの発表など、概ね順調に研究成果の発表を行えた。しかし、後半は新型コロナの影響により、2020年1月から3月までの研究活動が大幅に滞り、結果的に期待以上の成果を収めるには至らなかった。特に、この時期は韓国への長期的な資料調査やフィールド・ワークが行える時期であり、その活動が新型コロナの影響で実行できなかったことは、研究の進捗状況に大きな遅れを発生させた。 研究計画で言えば、2018年度の3・1節100周年の全国的な記念行事に関するフィールド・ワークの結果を踏まえ、もう一度、近代文化遺産の観光地などを実地調査するとともに、各地の郷土・行政資料などを集める予定であった。この調査は、3・1節と8・15光復節の報道の分析をとおして明らかになった「反日」のコンテクストが近代文化遺産へのノスタルジア現象といかなる関係性にあるのかを考察する上で重要なものである。そのため、同調査を予定通りに実施できなかったことは、「反日」と「対日ノスタルジア」の関係性を考える本研究の方針に大きな打撃となった。
|
今後の研究の推進方策 |
新型コロナによる韓国社会へのフィールド・ワークが厳しくなったため、2019年度の終わりごろから研究方針を大きく修正せざるを得なかった。近代文化遺産へのフィールド・ワークが厳しくなった以上、それらの観光現象に関する研究はその深化が厳しい状況である。 そのため、2020年度には、これまでの調査活動をとおして集めた資料を再度吟味するとともに、比較的に日本で資料が入手しやすい研究対象を主に分析することになった。具体的には、これまでの3・1節と8・15光復節の報道の歴史を追うなかで浮上した「自主性」というキーワードをより立体的に捉えるために、韓国社会ですでに忘却された「日韓併合記念日」を検討することにした。 同記念日は、植民地解放後、日韓両方において忘れ去られた記念日であるが、1910年の「日韓併合」以来、関連の記念行事が30年代後半まで盛んに行われた。「日韓併合」は、それに対する朝鮮人の「抗日」活動が注目されがちだが、実際にそれが日韓社会においていかに意味づけられたのかの詳細は不明なところが多い。「日韓併合記念日」の歴史を明らかにすることは、日本人と朝鮮人がいかに植民地支配に参加したのか、または、抵抗したのかを検討する上で重要な作業であり、その分析をとおして日韓社会が「日韓併合記念日」を忘却した意味を考察することができるのではないかと考えている。 「日韓併合記念日」に関する資料は、朝鮮総督府の資料など、日本で入手可能なものが多いため、2020年度はひとまず、同記念日の歴史を調査する。そこからいかなる日韓社会の葛藤や妥協が垣間見えるのか、また、朝鮮人の民族の「自主性」がいかに位置付けられたのかを検討していき、その現代における忘却の意味を3・1節と8・15光復節の想起の問題と合わせて考えていきたい。
|