研究課題/領域番号 |
18K00003
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研究機関 | 岩手大学 |
研究代表者 |
宇佐美 公生 岩手大学, 教育学部, 教授 (30183750)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 道徳的自然主義 / 理性主義 / 道徳心理学 / 進化論的倫理学 / 反実在論 / 実在論 / カント / 形而上学的概念 |
研究実績の概要 |
本研究は、理性主義の立場からの道徳判断の正当化等の道徳理論の試みに対して、自然主義の立場から提示される様々な批判の意義を検討しつつ、そうした批判にもかかわらず理性が有する意味創生機能と批判機能に着目して、自然主義的研究の成果を踏まえた形で理性主義と自然主義の新たな統合の可能性を提示することを目的にしている。そうした中で今年度は、近年の自然主義的視点からの道徳研究の内で、特に進化論的倫理学の分野と道徳心理学の分野における研究状況をフォローし、それぞれの視点から理性主義的道徳理論に対して投げかけられている批判の内容を整理・検討した。 道徳現象についての進化論的倫理学による研究では、社会的動物の生態との比較やゲーム理論を用いた人類の自然選択のメカニズムの解明などによって、道徳現象の基盤となる共感能力や協力行動の生成が説明され、さらに道徳心理学の研究では、脳科学からの実証データの集積も交えて道徳判断を支える感情ないし直観の働きの意義が明らかにされつつある。そしてそれらの研究成果は、それまでの理性主義的な道徳理論に対する様々な確度から批判の材料を自然主義者に提供している。例えば、理性主義的内在主義の「動機づけ」の問題や形而上学的基礎づけの問題についてである。とりわけ後者に関しては、直観的道徳判断を産み出す因果的機制の心理学的解明が「暴露論法」の形で活用され、理性主義者による道徳判断の正当化の試みが単なる「後づけ的説明」でしかなく、道徳は虚構であり、せいぜい文化相対的な信念の表明にしかならないとする道徳の実在性批判をうむことにつながっていることを確認した。本年度は、自然主義による道徳研究が理性主義的で形而上学的な道徳理論に対して提起する反実在論の課題を中心に検討し、その課題に対する対処の可能性を、「実在論」「実践的視点」「形而上学的概念の創生」などの観点から整理した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度は、自然主義的道徳理論の研究状況をとりまとめ、それらの特質をその背景となる自然科学の生成論や構造論の観点から整理するという目的を設定しており、その目的については概ね達成することができた。特に1990年代以降の道徳心理学や進化論、動物生態学、文化人類学などから得られた道徳の生成や構造に関する研究状況については概ね整理をすることができたが、それらの成果がもたらす既存の道徳理論に対する影響や批判の意義に関しては、その一部を検討するにとどまった。今年度遂行することができたのは、主に理性主義による形而上学的道徳理論を批判し、道徳に関する反実在論を唱える自然主義の立場に関する検討であった。ただし同じように反実在論をとったとしても、それが呼び寄せる道徳の相対性や虚構性の問題をどのように評価・対応するかに関しては幾つかの立場の違いがあり、その各々について批判的な検討ができたことは本年度の成果と言える。 また、今年度は自然主義による理性主義批判の代表的対象として取り上げられることの多いカントが、その形而上学的思索の一方で、現代の自然主義に通ずる自然科学や心理学を培いつつ道徳現象の観察も行った状況を知るために、次年度以降に予定していたドイツでの調査の一部を前倒しし、カントが生活した地を訪ね、同地の研究者から社会環境も含めた当時の状況について聞き取り調査を行うことができた。何人かのカント研究者が指摘するように、カントが実践的領域に関して単なる地域や伝統相対性を越える合理性に関する信念を持ち得た背景について考察するにあたり、今回の調査は有意義であった。今年度研究する予定であった課題の一部を次年度にも繰り越した反面、次年度以降の予定を前倒しして今年度に実施することができたことから、総体的に見て、今年度の研究は概ね順調に進展していると評価することができる。
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今後の研究の推進方策 |
今後は道徳に関する自然主義的考察から導かれる立場の中で、まず反実在論的立場に関する検討を引き続き重ねて行く。道徳が仮に虚構であるとしても、それが流通している現状をどのように解釈すべきかについてはなお検討の余地があるからであり、その虚構性のレベルは、宗教的信念や社会的慣習、貨幣などの制度などと比べてどの程度、いかなる意味で「虚構」なのかを考察する必要は残されているからである。別の言い方をすれば、自然的な意味でのリアリティはないとしても、現実に流通している以上は道徳がどの程度の妥当性を持つと言えるのかを検討する余地は残されている。その際、虚構とされる道徳は自然主義の批判の対象となっている理性主義的な道徳、就中、形而上学的概念を用いた道徳の解釈とどのような関係に立つことになるのかについても併せて検討したい。 また、今年度十分に触れられなかった自然主義的実在論の立場についても、これと並行して検討する予定である。道徳的実在論を主張する以上は、道徳判断には何らかの真理性が伴っており、正誤の判定が可能である事を含意することになるが、それはいかにして可能であろうか。しかもその論証は、反実在論が道徳の実在性を挫くために活用した人類の道徳現象の生成に関する自然科学的事実をも取り込み、なおかつかつての社会ダーウィニズムの間違いを犯さない形で説明する必要がある。こうした課題を踏まえながら自然主義的実在論の可能性と課題についても改めて検討したい。その上で、実在論と反実在論の論点を整理しながら、その中でそれぞれが「実践理性」の一人称的働きをどのようなものとして捉えているかを吟味することで、今後の理性主義との統合という目的のための準備作業を進める予定である。
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