研究課題/領域番号 |
18K00003
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研究機関 | 岩手大学 |
研究代表者 |
宇佐美 公生 岩手大学, 教育学部, 教授 (30183750)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 理性主義 / 正当化理論 / 理性と感情 / アダム・スミス / 自然主義 / カント / 尊厳 |
研究実績の概要 |
本研究は、理性主義の立場からの道徳判断の正当化等の道徳理論の試みに対して、自然主義の立場から提示される様々な批判の意義を検討しつつ、理性が有する意味創生機能と批判機能に着目して、理性主義と自然主義の新たな統合の可能性を提示することを目的にしている。 2019年度は、昨年度に引き続き理性主義の形而上学的概念に対する自然主義の側からの批判の意味を継続的に検討しつつも、「理性と感情」をめぐる近代啓蒙主義者の思想を取り上げ、形而上学的概念の意義を、現代の自然主義による理解をも挟みながら再検討した。アダム・スミスはヒュームと同様に「共感」能力に注目しつつも、そこで抱かれる情念は「想像」に基づき、しかもそれが「適正」であるかどうかを文脈に応じて「判断する能力」をも必要とすることに着目していた。さらに共感を洗練し修正する能力の陶冶を通して「公平無私な観察者」の形成と義務の感覚の重要性を説く彼の姿勢は自然主義の側からの理性的能力の意義へのアプローチを示唆していた。同時代のカントは、経験と感覚の中で語られる道徳を理性の形而上学により基礎づけようとした一方で、理性による錯誤に対しても批判的な視線を失わず、しかも経験的心理学による人間理解を駆使した自己陶冶としての啓蒙の可能性を示唆していた。このように近代啓蒙主義第1世代においても、理性主義と自然主義との相互作用があり得たことを再確認した。その上で、現代の自然主義者により批判の対象となっている形而上学的概念のうちで、本年度は特に「尊厳」概念を取り上げ、カントの形而上学的な実践の理論(義務倫理)が、伝統的な「尊厳」の意味を受け継ぎつつも現代の「尊厳」概念に連なる新たな価値地平を拓く上でどのような役割を果たしているかを明らかにし、それによって形而上学的概念の導入が、伝統的感情意味の布置を変えたり新たに編み直すことがありうることを示すことができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は、まず自然主義者によって「抽象的で、宙に浮いている」と揶揄されがちな理性主義の道徳理論の流れをさかのぼり、「理性と感情」をめぐる近代啓蒙主義者の考察の意義を再検討することを目指した。現代の自然主義に関する研究の中には、理性の意義を感情との関係で見直そうとするジョセフ・ヒースの『啓蒙2.0』のような試みもあるが、それは近代の啓蒙主義の試みを失敗と見切ったうえで新たな自然主義の流れを汲みつつ企図された試みであった。この試みの妥当性を吟味する目的で、理性と感情の関係をアダム・スミスやカントらの近代啓蒙主義の考察に遡って検討することができた。アダム・スミスでは、感情の錯誤やバイアスの問題への対応策が検討されており、カントでは感情の偶然性を超える試みとして、形而上学の領域が実践的理念として展望されていた。それは今日の自然主義者が、感情の働きに対して単に「後づけ的に」加えられた概念のレベルを超え、むしろ偶然的感情を整序し、場合によっては感情を鼓舞する働きが実践的に期待されてもいることをカントの「目的自体」と「尊厳」概念の関係を検討することで確認できた。 この他に本年度は、道徳に関する反実在論の検討を行う予定であったが、近代啓蒙主義の文脈の中で、反実在論を前提にしつつも道徳現象の位置づけをどのような形で新たに確保するかをカントの実践的形而上学の試みの中で検討するにとどまった。今日の自然主義の研究成果との関わりで、虚構やフィクションとされる理性主義的道徳理論の意義を、他のフィクションとされる諸概念と比較して、そのあり様の質の違い等を再検討することは、次年度以降で継続することとした。予定された計画のうち年度末のコロナ・ウイルスによる行動制限で執行できなかった計画も一部あるが、次年度以降の課題を先取りして考察できた部分もあるので、研究は概ね順調に進展していると評価できる。
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今後の研究の推進方策 |
前年度からの課題を引き継ぎ、自然主義的考察から導かれる道徳的反実在論の中での道徳現象の意味の再検討を行うことに加え、自然主義の立場からの道徳に関する実在論者の主張と反実在論との比較検討も行う予定である。ただし、自然主義の立場をとりつつ道徳的実在論を主張するには、道徳判断の真理性の論証、道徳現象の生成に関する自然科学的研究との整合性、社会ダーウィニズムとの異同など、難しい問題が指摘されてきた。次年度は実在論者によるそれらの問題の検討状況をフォローする。 さらに今後は、自然主義的観点による行為と道徳判断の説明に、「権利づけ」や「批判」などの理性概念による説明を加えることが、単なる「後づけ」的な説明や正当化に止まらず、「新たな意味の生成」や「既存の概念枠組みの編み直し」に寄与することを、具体的事例に即して可能な限り実証的に明らかにすることを目指したい。自然主義の研究では、所与の目的を前提に、その目的の達成や解決に寄与する手法として工学的手法が採とられることをポジティブに受け入れる傾向がある。しかし、目的の設定に寄与する感情や理性の機能が、既存の文化的構築物(システム2)に制約されざるを得ないとすれば、目的の設定自体にバイアスがかかる可能性もあり、そうしたバイアスに対する吟味や修正の可能性を確保するために、理性主義による研究成果の活用可能性を検討したい。それによって自然主義的ホーリズムに、理性主義の道徳理論を適切に接合しうる道を拓くことができると考えている。そして以上の目的を達成するために、今後は倫理学分野の研究者だけでなく道徳心理学分野の研究者からの協力を求める予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
本年度、心理学関係の研究者の協力の下で、モラル・ディレンマ等に関する実証的調査を行う予定であった。しかし当初協力を求めることを想定していた研究者の都合により実施の時期がずれ込んだことで、年度末のコロナウイルス感染拡大の影響もあり、それらの調査および研究打ち合わせのための計画が一部実施できないことになり、そのため旅費及び謝金の予算を次年度に繰り越さざるを得なくなった。なお今後の研究遂行方針にも記したように、次年度以降に、繰り越しした経費を用いて、本年度予定していた心理学関係の調査と学外の研究者との研究打ち合わせを行う予定である。
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