フランスでは古代ギリシア・ローマの文芸を創作の範とするプレイヤード派のロンサールがルクレティウスに愛着を見せたように、その受容は早かった。モンテーニュの『エセー』には、ルクレティウスの倫理学が深く浸透している。死後の魂の存在への懐疑や世界の複数性などについては、モンテーニュはルクレティウスと考えを共有し、宗教や宗教対立への批判に関して肯定的に引用し、死は恐怖の源泉ではないことを論じるために、彼の詩を引用している。ただし、モンテーニュは懐疑主義の立場から、知覚の不可謬説をとるルクレティウスを批判し、デカルトにも影響を与えた。『エセー』は、ルクレティウスからのふんだんな引用を通して、彼の倫理思想が広く知られることにも寄与した。フランスでは、アナトール・フランスにも強い影響が見られる。 これに対してイギリスでのルクレティウスの受容や翻訳はかなり遅れた。スペンサーによるわずかな引用や、ミルトンの『失楽園』におけるルクレティウスの文体や主題について暗に言及している箇所がいくつか見受けられる。興味深いのはイギリスでのルクレティウスは、フランス革命を支持する啓蒙運動の合理主義者や無神論的唯物論者、それと対立する関係にあったロマン主義者の双方の陣営から支持者を得たことである。とくに後期ロマン派のパーシー・シェリーは、ルクレティウスの教説を絶賛している。ルクレティウスから影響を受けた科学者エラズマス・ダーウィンの存在も重要である。彼は『事物の本性について』における生物の発生進化や人間や社会の進歩や歴史的発展を描いた記述に影響を受けた作品を書き、ワーズワース、コールリッジ、シェリー、キーツなどのロマン主義文学に強い衝撃と感化を与え、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』の誕生の契機にもなった。また、ウォルター・ペイターやニーチェは、エピクロス派とキリスト教の親近性を見出している。
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