研究課題/領域番号 |
18K00013
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研究機関 | 三重大学 |
研究代表者 |
薄井 尚樹 三重大学, 人文学部, 准教授 (50707338)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 潜在的態度 / 道徳的責任 |
研究実績の概要 |
今年度は、研究課題である「潜在的態度から見た道徳的責任の再検討」をおこなうにあたって、実施計画に挙げた(1)潜在的態度の定式化(潜在的態度のありようを明確にすること)にくわえて、(2)潜在的態度(から生じる行為)の道徳的責任の考察をおこなった。 (1)「潜在的態度は、道徳的評価を可能にする本当の自己をあらわしているのか」という問いについて、フランクファートとその批判者たちによる本当の自己をめぐる一連の議論をベースに考察をすすめた。そのさい、潜在的態度がしばしば推論や証拠に不感的であること、またそれが通時的に不安定なものであることを示す経験的研究を参照することで、「潜在的態度は、すくなくとも既存の議論の枠組みのもとでは、本当の自己を反映したものとはみなされない」という結論に達した。この研究成果は「潜在的態度は「本当の私」なのか」(『倫理学年報』第68集)として公表される。 (2)(1)から派生するかたちで,潜在的態度(およびその道徳的責任)を個体の外部の視座から、つまり外部主義的に捉えようと試みた。ここでは、ペインたちの提唱する「群衆バイアスモデル」を糸口に、潜在的態度を個体ではなく状況に位置づけるアイデアに注目し、潜在的態度の道徳的責任を個体に内在的な性質に基礎づけるのではなく、個体の外部にある(社会的)環境の観点から理解する可能性を探った。2018年10月に開催された日本科学哲学会第51回大会において「群衆バイアスモデルは帰属可能性としての道徳的責任を配慮しうるか」というタイトルでこの考えを発表し、有益なフィードバックを受けることができた。このように潜在的態度を外部主義的に捉える試みはかなり有望だと考えている。 以上の研究実績は、現代の社会問題の多くの根底にあると考えられる潜在的態度と、そこから生じる行為の道徳的責任とのつながりを明らかにする一歩となったと考える。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度の目標は、ときに顕在的態度と対立する潜在的態度のありようについて、その先行研究を整理し、潜在的態度がどのような特徴をした心的状態であるかを明確にすることだった。このような潜在的態度のありようをめぐる議論は、現在も多数の論文が出版されているホット・トピックのひとつだが、上記の研究実績の概要で述べたように、この問題を扱う査読論文を公表することができた。このことは、本研究が国内で高い評価を受けて、上記の目標について一定の達成ができたことを意味する。 さらに,この目標から派生するかたちで、潜在的態度の道徳的責任をめぐる問題についても、ある程度まで踏み込んで考察した発表を学会でおこなうことができた。そこでは,潜在的態度(およびその道徳的責任)を外部主義の視座から捉える考えを展開したが、現在この考えにもとづいた論文を執筆中である。このようにして今後の研究を、新たな、より興味深い視座からすすめるための足場を築くことができたと考えている。 以上より、現在までの研究の進捗状況は、おおむね順調に進展していると判断している。
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今後の研究の推進方策 |
先に述べたように、潜在的態度を外部主義的に捉える可能性が有望に思われるため、実施計画に記載したアプローチをすこし変えて,これまでの研究成果をもとに上記の可能性についてさらに検討をすすめたい。そのためにまず、これまで潜在的態度のありようについてどのような提案がなされてきたかを包括的に考察し、それらがおおむね個体主義的な前提にもとづいたものであるかどうか,外部主義的に捉える立場があるかどうかという観点から整理する。またその一方で、社会/制度的な要因を強調することで「潜在的態度を個体主義的に理解することがもつ実践的な意義」を批判する議論も考察する。このようにして既存の議論状況を整理すること、とくに潜在的態度を個体主義的に捉えることが主流になっていることを示すことが、最初の目標である。 つぎに、そのような先行研究の整理をふまえて、潜在的態度を外部主義的に理解する考えを展開する。ここでは、いくつかの経験的研究、とりわけ潜在的態度がパーソナルな態度というよりむしろある種の文化的知識であることを示す研究、および,潜在的態度が個体の外部の文脈のなかで理解される社会的役割や社会的アイデンティティに可感的であることを示す研究に依拠することで、潜在的態度を外部主義的に捉えることの経験的な妥当性を示すことが目標となる。 そのうえで、潜在的態度を外部主義的に理解したばあい、その道徳的責任をどのように理解することが求められるのかを考察する。既存の主要な議論は、個体に内在的な性質に焦点をあてることで潜在的態度の道徳的責任を理解しようとしてきたが、上記の理解はそのような主張に反対する。それゆえここでの目標は、既存の主張の代替案として、集団的責任や文脈主義などの立場から、潜在的態度の道徳的責任を検討することである。
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