研究課題/領域番号 |
18K00013
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研究機関 | 三重大学 |
研究代表者 |
薄井 尚樹 三重大学, 人文学部, 准教授 (50707338)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 潜在的態度 / 道徳的責任 |
研究実績の概要 |
今年度は、研究課題である「潜在的態度から見た道徳的責任の再検討」をおこなうにあたって、前年度に引き続き、潜在的態度(から生じる行為)の道徳的責任の考察をおこなった。その内容は大きくふたつに区分できる。 (1)潜在的態度について、個人の心的状態から捉える立場と、社会構造や構造的不正義についてのより広い枠組みのなかに位置づけようとする論争をとりあげた。この論争を検討するうえで、いずれの立場も、潜在的態度にかんして個体主義(個体に内在的な物理的性質によって実現される)という前提を共有していることを指摘し、むしろ潜在的態度は外部主義的に理解されるべきではないかという論点、またそのさいに道徳的責任の帰属にもたらされる含意を考察した。以上の議論は2019年4月に開催された応用哲学会第11回年次研究大会において「潜在的態度は独自の道徳的責任をもたらすのか」というタイトルで発表され、有益なフィードバックを受けることができた。 (2)「潜在的態度の道徳的責任」という論点から派生するかたちで、ロボット/AIにたいする潜在的態度についての先行研究を検討し、私たちのロボット/AIにたいする態度が回避的レイシズムと類似した構造をしている可能性があることを指摘した。他方で、そのような類似性にもかかわらず、ロボット/AIが真正の差別の対象(道徳的被行為者)となりうるかを考えるさいには、差別を考えるうえでの有力な方策のひとつである「動物の道徳的被行為者性とのアナロジー」は成り立たないのではないかという結論に達した。以上の議論は、2019年11月に開催された日本科学哲学会第52回大会において「ロボット/AIにたいする態度はなにを意味するのか」というタイトルで発表され、そこで得られたフィードバックをもとに論文「ロボット/AIは差別の対象となりうるのか」(『人文論叢』第37号)として公表された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度の目標のひとつは、前年度に得られた知見にもとづいて、「潜在的態度の道徳的責任」という論点を外部主義的な観点から捉えることであった。上記の研究実績の概要で述べたように、潜在的態度を個体主義的に捉えてきたこれまでの議論を外部主義の枠組みのもとで捉え直す考察を、2019年4月に開催された応用哲学会第11回年次研究大会で発表したが、現在、そこで得られたフィードバックをもとにさらに研究・考察をすすめており、論文として公表するための準備は順調になされている. また,この研究から派生して,潜在的態度の道徳的責任の帰属よりむしろ,(潜在的態度がともなう差別の対象となりうるという意味で)道徳的被行為者の条件を考えるうえで、ロボット/AIをとりあげて考察できたことは、おおきな収穫だと考えている。というのも、潜在的態度の道徳的責任を考えるうえでは、道徳的行為者と道徳的被行為者の両方の視座からの考察が必要だと考えるからである。ロボット/AIを題材に道徳的被行為者性を考察することは、人間のケースでの同様の考察におおきな示唆を与えうるであろう。潜在的態度を絡めたかたちでロボット/AIへの差別を論じた先行研究はあまりないため、この研究を公表できたことはひとつの成果だと考えている。 以上の研究実績は、前年度に引き続き、潜在的態度の道徳的責任を考えるうえで、また今後の研究の方向を定めるうえでの重要なステップとなったと判断している。
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今後の研究の推進方策 |
2020年度は、新型コロナウィルスの影響によって学会発表ができるかどうかが不透明であること、また研究の最終年度であることから、これまでの研究をまとめるために、ふたつの論文を投稿することに集中したいと考えている。 (1)ひとつは、2019年4月に開催された応用哲学会第11回年次研究大会で発表をベースに、潜在的態度を外部主義的に捉える可能性を検討することである。現在のところ、この争点を扱った先行研究はほとんどなく、公表することができれば、この研究分野に貢献することができるだろう。論文そのものはある程度まで仕上がっているが、潜在的態度を研究している国内の哲学者の数が少ないため、海外の哲学研究者のアドバイスも仰ぎながら、さらに論文を洗練させたうえで、可能であれば海外のジャーナルに投稿したいと考えている。 (2)もうひとつの論文は、上記の論文と密接な関係にあり、もし潜在的態度を外部主義的に捉えることができるとすれば、その道徳的責任の帰属は「誰」あるいは「なに」になされるのかを論じる。そのばあい、道徳的責任の主体はどのようなかたちで拡張されるのか、ということが主要な論点になるだろう。ここでは、集団的責任、あるいは「拡張された自己」といったトピックの検討が必要になると思われる。上述の論文と同様に、こちらについても論文の執筆にとりかかっており、おなじく海外の哲学研究者のアドバイスも仰ぎながら、可能であれば海外のジャーナルに投稿したいと考えている。
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