『詩』はその成立以降いかなる展開をへて『詩経』として定立してくるのであろうか。従來は、諸文献の経学的價値観に立った『詩』『詩経』の成立に関する記述のすべてを事実と誤認して、孔子の学統に『詩経』を位置づけようと言う言説が優勢で、歴史的事実が十分に闡明されているとは言いがたい。『詩』の成立と展開という問題は、やはり『詩』そのものの検討から始められなければならない。『詩』そのものの検討は、『毛傳』『毛序』の古文系の詩解釈を自明のものとすることなく、また三家詩の詩解釈が孔子・子夏等から伝承されているという先入観を打破し、かつ近年出土している楚簡等の詩解釈を參照しながら行われる必要があり、困難な課題である 近年、湖北省を中心として先秦の「楚系文字」等で書かれた楚簡が出土している。その中で、儒家系の文献を含むものとしては、『郭店楚墓竹簡』『上海博物館蔵戦国楚竹書』『清華大学蔵戦国竹簡』及び漢代前半の隷書で書かれた『馬王堆漢墓帛書』『阜陽漢簡』等がある。これらの楚簡には現行本の『毛詩』に含まれる詩がかなり引用されている。さらに令和元年に出版された『安徽大学藏戦国竹簡』「詩経」をも検討する必要がある。 本研究は、これら戦国期の同時代資料である楚簡が引用する『詩』について、古文系とされる『毛詩』のテキスト及び『毛傳』『毛序』の解釈が先秦から存在したということを無前提に容認し、これらの『詩』理解に基づいて楚簡・漢帛・漢簡が引用する『詩』を理解する従来の方法を打破することを目的とする。具体的には戦国期の楚簡等に見える楚系文字の『詩』理解、前漢代の『馬王堆漢墓帛書』等に見える「漢代隷書(今文)」期の『詩』理解、古文系『毛詩』『毛傳』『毛序』等による『詩』理解、という三つの『詩』理解が別のものであることを実証的に明らかにし、一部の楚簡引用の『詩』を当時の実態に即して解釈することを目指した。
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