研究実績の概要 |
「仏教復興」がなされたとされる1934年の旧制大学『一覧』から戦前の外国語学修環境を再構成し、梵語の位置づけを確認した。また、古典言語に焦点化して、それを取り扱う大学数を1934年と2018年(旧制大学を前身とする大学48校)とで比較した場合、1934年:羅17校・希14校・梵16校・巴9校、2018年:羅37校・希35校・梵23校・巴14校となる。ここからすれば梵語学の学修機会は相対的に減少している。これは単に教養教育における古典語学修という問題ではなく、「国民国家的な言語イデオロギー」[山川智子2008]の退潮であると仮定し、上田万年-高楠順次郎によって構築された大学制度における梵語学修と一線を画す上田恭輔(1871-1951)に注目した。その履歴書(JACAR:C09121990300)によれば1888年から1892年までアメリカ・コーネル大学で梵語・比較言語学を学修している。これは南條文雄に次ぎ、高楠順次郎に先行する。ただし、コーネル大学のデジタルアーカイブスに上田の名をみつけることはできなかった。また、上田が梵語・比較言語学を習った「ロークツキ博士」、この人物の特定にも至らなかった。蓋然性が高いのはFrederick Louis Otto Roehrig(1819-1908)であるが、コーネル大学在職期間と上田の学修期間にはズレがある。ただ、両者の経歴(サンフランシスコへの移住、医学校への奉職等)には類似点が認められる(Barreiro, Elena.(2012). Frederick Roehrig: A forgotten name in Salish linguistics. Northwest Journal of Linguistics 6.3 ,1-17.参照)。改めて上田の経歴調査が課題として浮上した。
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