今年度は、これまでに集めてきた資料を読み込み、20世紀初頭から中盤にかけての日本の優生学の流れを特定の視点に立ってまとめる作業をおこなった。概ね400字詰め原稿用紙にして700枚分の草稿が完成した。 具体的には、20世紀初頭の海野幸徳のテクストを分析した。その際、彼の特異性を浮き上がらせるべく、身体侵襲性の手段の採否という観点を導入し、イギリスのゴルトンやサリビーとの比較や、ドイツのシャルマイヤーやプレッツとの比較などをおこなって記述した。次に、加藤弘之や井上哲次郎など19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した学者の人間観を明らかにし、その人間観と優生学の採用との内在的な関係について検討した。さらに、1920年代後半の政府調査会の答申を分析して、優生学が政治の舞台にのぼってくる過程を再構成した。加えて、『優生学』『優生運動』といった啓蒙のための媒体を分析し、身体侵襲性の手段が徐々に正当性を獲得していく過程、および身体侵襲性の手段を具体的に社会のなかに浸透させていくための活動について明らかにした。また、古屋芳雄という公衆衛生学者を分析対象として、文学者時代から公衆衛生学者時代まで含めて、その思想と行動を明らかにした。最後に、これまで無名であった小児科学者を取り上げて、彼の思想的冒険の意味、優生学批判とその再編成について明らかにした。 これらの作業を通じて、20世紀前半の近代日本において、「異常」とされていた人々は誰であり、それらの人々に対してどのような感受性が社会に共有されていたのかを明らかにした。
|