研究課題/領域番号 |
18K00111
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研究機関 | 武蔵大学 |
研究代表者 |
小森 謙一郎 武蔵大学, 人文学部, 教授 (80549626)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 内面の自由 / 沈黙 / ホロコースト / ナクバ / キリスト教ヨーロッパ |
研究実績の概要 |
本年度は、主権的意思に還元されない「内面の自由」について、これを宗教的信仰心や政治的信念から区別すべく検討を進めた。 この点で大きく参考になったのは、全訳した『ホロコーストとナクバ』(バシール・バシール+アモス・ゴールドバーグ編)の第14章「沈黙を書くこと」(ラーイフ・ズライク)である。この論考自体は、エリヤース・フーリーの小説『ゲットーの子供たち――わが名はアダム』の読解に捧げられたものだが、ズライクはその読解を通じて「沈黙」そのものを考察している。沈黙は、ひとつの積極的な言語行為でありうる。言葉を発さないこと、何も言わないこと、あるいは押し黙ることが、きわめて重要なメッセージとなる場合がある。いわゆる言論の自由が外的自由に関わっているのとは正反対の仕方で、沈黙のこうしたあり方は内的自由に深く関わっている。事実、「拷問とは他人の内面、精神、心にアクセスしようとする暴力的な執着だ」とズライクは言う。ほとんどの近代的法制度のもとで黙秘権が保証されている理由もそこにある。だとすれば、ここでさらに問うてみる必要があるのは、法制度の外部でいかにして「内面の自由」を保つべきか、ということになるだろう。 そしてまさにこの点に、モンテーニュの現代的意義もあると考えられる。前年度から民俗学的・人類学的な視点を取り入れた研究を進めてきたが、その流れのなかでとくにカルロ・ギンズブルグ『闇の歴史』に着目した。ギンズブルグの著作群の中では初期の部類に入るものだが、そこで問われているのはユダヤ人、アラブ人を同等視するキリスト教ヨーロッパ社会の相貌である。こうした視点は、後のギンズブルグのモンテーニュ論などにも活かされているはずであり、そのつながりを明らかにするための予備的な考察を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
コロナ禍によるこれまでの影響から研究期間は延長したものの、当初予見していなかった新たな視座・観点を獲得できた点で、全体としてはおおむね順調に進展していると言える。とくに本年度に刊行した『ホロコーストとナクバ』を通じて、キリスト教ヨーロッパの他者としてのユダヤ人、アラブ人という視座を明確にできたことは、本研究を進める上で大きなアドヴァンテージとなったと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
これまで得られた研究成果を基盤として、目的達成に向けて考察を深めていく方向に変わりはない。ユダヤ人、アラブ人がキリスト教ヨーロッパから排除されていく歴史を踏まえながら、そのなかで「内面の自由」をどのように捉えることができるのか、また同じ歴史がいかにしてヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅とパレスチナにおける災厄に行き着くのか、関連する思想家・哲学者を軸に考察を進める。
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次年度使用額が生じた理由 |
残存していたコロナ禍関連の諸影響、また航空運賃の上昇と急激な円安などにより、計画していた国外での調査出張を取り止めたことから、次年度使用額が生じた。諸状況を勘案しつつ、研究遂行上最も効率的となる形を模索しながら残額を使用する。
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