芸術の伝統的美的定義にとって最大の障害となってきたのは、芸術・非芸術の境界事例の存在と、「美的」という概念そのものの画定に対する疑義であった。本年度は、後者(美的錯誤理論)ではなく前者(反例論法)に焦点を絞る合理的理由を以下のように整理した。 美的錯誤理論は、「美的と非美的」の区別を否定するがゆえに、反例論法を不要もしくは無意味なものとする。つまり二つの反論が両立しない。とすれば、美的定義の擁護者は、どちらの反論を相手取って立論したらよいか。美的錯誤理論の方が、反例論法を前提とともに否定しながら美的定義に基礎的な反論を加えるように見えるため、主たる論駁対象にふさわしいように思われるが、美的錯誤理論の概念的かつ一般的な挑戦を退けたとしても、反例論法の問いに答える必要が残る。逆に、反例論法を退けることは、「美的でない芸術作品」の扱い方および「美的な芸術作品」との関係の検証を含むので、自ずと「美的と非美的」の判別基準を洗練し、区別そのものの妥当性認定の現状を明確化できることになる。よって、美的錯誤理論への最上の対処が、反例理論への対処においてあらかじめ果たされるだろう。逆は成り立たない。よって方法論的に、美的錯誤理論は副次的に検討するにとどめ、当面の主たる論駁対象を反例論法に定めることするのが賢明である。 反例(境界事例)としては、美的定義を満たさないが芸術であるもの、美的定義を満たすが芸術でないものの二種類が考えられ、本研究では後者の例として「戦争」や「都市」などを視野に入れた。 以上の認識に基づき、芸術の美的定義を約30種類、美的定義以外の芸術定義を約40種類、可能なかぎり明晰に定式化し、論理的順序に従って配列する作業を完了した。同時に、アートとジェンダーの概念地図の同型性を分析する論考を執筆し、芸術定義整理作業の完了と合わせて、多方面からの研究次段階へ進む準備を整えた。
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