研究課題/領域番号 |
18K00133
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研究機関 | 京都市立芸術大学 |
研究代表者 |
丹羽 幸江 京都市立芸術大学, 日本伝統音楽研究センター, 客員研究員 (60466969)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 中世芸能 / 能楽 / 世阿弥自筆譜 / 楽譜の解読 / 旋律法 / 室町時代の音楽 / 七五調の旋律 |
研究実績の概要 |
本研究は語り物音楽として歴史的に初めての本格的な劇場芸術である能の当初の旋律法を明らかにすることを目的とする。世阿弥の時代の謡についてはもっぱらリズム面の研究が進んできたのに対し、本研究は旋律面に光を当て、歌詞の伝達のあり方を考える。2019年度には旋律研究の方法論の模索と、世阿弥・禅竹の自筆譜の解読の2方面からアプローチした。 まず、能が確立した旋律法を探るために、より的確に言葉を伝えるための旋律パターンとは何かを考察したのが、国際学会での研究発表 ”Melody ingenuity to convey the story in Noh Theatre”である。歌披講や仏教声明の講式と、能の旋律との比較を行った。講式の散文の詞章とは異なり、歌披講では和歌は七五調の上半句・下半句とで音域を変化させて明瞭に歌い分ける。能の旋律パターンもまた七五調に依存することを指摘した。 つぎに、論文「世阿弥・禅竹自筆譜への早歌譜の影響」では、2018年度の東洋音楽学会での研究発表を発展させ、リズム記号に関して禅竹・世阿弥自筆譜の解読を行なった。これまで世阿弥・禅竹の自筆譜は後世の謡の楽譜記号との類似性から論じられてきたため、現在とは異なった記号の機能についてはわかっていなかったが、先行芸能の楽譜との比較により解読が可能になった。本論文により、従来知られてきた能のリズム大系への早歌の影響だけでなく、楽譜への音楽の記し方に関しても早歌からの明確な影響が裏付けられた。さらに世阿弥自筆譜を精査する中で、世阿弥の記譜法には大きく分けて2つの段階があることも新たに判明した。 最後に、本研究のアウトリーチ活動として、京都市立芸術大学での公開講座で、廃絶した曲を復活する意義に関して講演した。世阿弥自筆譜や早歌と言った廃絶した曲を扱う際に得た知見をもとに論じた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究はいまだ先行研究の少ない旋律と歌詞の関係性についての法則性を扱うために、2019年度には、旋律の規則についての理論的枠組みの確立が必要であった。このため歌披講や仏教声明の講式といった他芸能との比較を行ったのであるが、本研究の要となる先行芸能早歌との旋律の比較に関しては成果を出すところに至らなかった。その最大の原因となったのは、早歌譜の読解という、より基礎的な事柄に大きな困難があったためである。その点において、本研究は当初の予定よりもやや遅れているとみなした。 能の先行芸能早歌は、能より百年早く興隆し、能の創成期には絶大な人気を誇っていたとされる。しかし、江戸初期には完全に廃絶し、現在楽譜が残されているのに過ぎない。その音楽構造や楽譜の記譜法については蒲生美津子氏『早歌の音楽的研究』(三省堂、1983年)により基本的なことを明らかにされている。しかし実際に楽譜を読解しようとすると、蒲生氏の示した原則のみでは当てはまらない事例が多く、蒲生氏が全曲の音高推移を明らかにされた以外の曲の楽譜読解は困難を極めた。このため正確なデータが取れずに、論文執筆の遅れとなった。 このため解決方法として楽譜の記号の組み合わせを見ても、音がどう推移したのかわからない記号に関しては、とりあえず疑問としてそのままにしつつ作業を進めることで、七五調の詞章への旋律の依存について調べるという解決方法で進めることとし、論文の執筆を行うところまでたどり着き、遅れを取り戻そうとしている段階である。 他方、世阿弥の自筆譜の解読に関しては、ほぼ予定通りの進捗状況である。特に世阿弥自筆譜全8曲に関しての旋律面に関する自筆譜の解読は着々と進行中である。
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今後の研究の推進方策 |
2019年度の研究により、能の創成期について論じるためには、早歌からの影響について考えるとともに、その方法論として七五調の歌詞への依存度合いを考慮することが適切であると明確になった。以上の段階を踏むことで、ようやく旋律について論じる土台はしっかりと形成されたと考える。 2020年度には、いよいよ世阿弥自筆譜における旋律記号の解読に着手し、本研究の目的である旋律法を明らかにする。世阿弥の自筆譜は8曲あるものの、全部が同じ記譜法で記されているわけではなく、時期的な変遷があることが明らかになった。そのうち、後期の《松浦》《布留》《阿古屋松》の3曲はもっとも早歌の楽譜記号に影響を受けた記譜法を持つと予測している。旋律面での楽譜記号のうち、とくに音が下がることを指示する「下」という旋律記号は、完全4度(例えば高いラからミまで下がる音程関係)は早歌の跳躍下行の指示記号を継承したものであると考えられるとともに、謡では下半句で多用されることで、下半句を際立たせ、上半句の詞章を弁別する記号であると予想している。これらの七五調詞章での位置関係を分析することで、旋律の動きの規則だけでなく、どのように音楽構造を把握していたのかという記譜法の背後にある音楽理解が明確になるであろう。 また、これらの解読作業を進める中で、あらたな疑問が浮かび上がってきた。それは、早歌譜では「五声」という五つの階名、「宮商角徴羽」を各記号に詳細に注記するのに対し、能楽譜では世阿弥の自筆譜以降、現在に至るまで、階名を排除してきた。世阿弥の自筆譜は、早歌譜から大きな影響を受けているのは明白である。それにも関わらず、なぜ早歌譜の要諦とも言える五声は摂取しなかったのか。このことは能が確立した旋律構造の根幹にも関わることであると考えられる。以上の問題意識のもと、前述の世阿弥自筆譜の旋律面に関する解読を行い、本研究の完成を目指す。
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次年度使用額が生じた理由 |
国際学会での研究発表を予定していたが、国際学会の日本大会が開催されたため、航空券に使用されるはずの旅費を使用しなくなったため残額が生じた。現在難航している早歌の楽譜の読解をよりスムーズに行うために、より善本と考えられる資料の複写の使用に当てる予定である。
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