コロナ禍による研究遅延のため、研究期間を延長した。依然として専門図書館の一般への閲覧停止は続くなど資料の入手は困難であり、また2019年度に着手した古い謡を伝承する地方の謡の実態調査は中断し、研究の進展は困難を極めた。このような状況のなか、現在伝承されていない能楽の廃曲を楽譜をもとに復活上演する観世流能楽師の活動に参加し、本研究の成果を実際に室町末期以降の謡本で検証し、応用する活動を行った。 2022年11月に《不逢森(あわでのもり)》という室町末期に作られ、現在は廃絶した曲の復曲上演が名古屋能楽堂で行われた。上演謡本の作成にあたり、古い謡本の節付けの解読と現在の節付けに直す作業にたずさわった。江戸中期に刊行された貞享三年九月林和泉掾刊五番綴謡本、通称三百番本を中心として、室町末期の写本である天文二十四年観世元忠奥書謡本などと比較対照した。また2023年2月の《大磯》の復曲上演に際しても、同様の作業を行った。 節付けの復曲作業の際には、これまでの本研究を通じて明らかになった、1、七五調の一句と旋律とに連動性があり、上ノ句と下ノ句での旋律の動き方には厳密な規則性があるという原則と、2、決まった旋律パターンによって謡の胡麻(音節や音価を明示する基礎となる音符)が解読可能であること、という2点を当てはめ、室町末期から江戸中期の謡本の胡麻の解読を試みた。 この結果、能楽創生期に確立したこれら2点の謡の音楽的特徴は、室町末期以降の謡本に応用可能であり、現在の謡にも基本的には通じるということが明らかになった。つまり創生期の謡の音楽的特徴は現在まで継続すると考えられる。しかし室町時代における謡の原則を離れた、より多様な胡麻の解釈方法が行われていたらしいこともまた確認された。江戸期以降において、原則を外れて、より複雑な旋律への指向があったと予測するが現時点では不明であり、今後の課題としたい。
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