当該時期における船の楽団、音楽学校、映画館、軍楽隊、三越少年音楽隊、一般大学オーケストラの演奏記録をデータベース化し、演奏曲目の変遷や楽団による相違を検討した結果、以下のことが判明した。 宮内省楽部が式典や催事のために、東京音楽学校では教育目的で演奏曲目を選んでいたのに対して、軍楽隊や三越少年音楽隊では明治末より一般聴衆のための公開演奏を開始した。大正期より北米航路の船の楽団がジャズやサロン音楽を持ち込んだことにより、大正期後半に洋楽の普及が進んだ。軍楽隊と船の楽団の出身者の一部は映画館楽士となり、昭和初期にかけて演奏ジャンルの多様化、洋楽合奏の普及と交響楽団の創設に貢献することとなった。
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