研究課題/領域番号 |
18K00151
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研究機関 | 京都造形芸術大学 |
研究代表者 |
牛田 あや美 京都造形芸術大学, 芸術学部, 准教授 (00468729)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | マンガ / 挿絵 / 外地 / 少年雑誌 |
研究実績の概要 |
2018年10月5日に韓国の金海市にある「金海文化の殿堂」と呼ばれる「金海芸術スポーツ会館」にて開催された「International Symposium on the 20th anniversary of the death of Kim Yong-hwan, master of Korean contemporary comics(韓国現代漫画の父、キムヨンファン死後二十年を記念した国際シンポジウム)」において招待発表をさせていただいた。タイトルは「日本におけるキムヨンファンの発見」であった。発表は、キムヨンファンの日本でのライバルが誰であり、どのような過程を経て、売れっ子挿絵家になったのかを話した。北宏二のデビューは実業之日本社から出版されていた少年雑誌の1935年3月号『日本少年』であると韓国では言われていたが、それ以前に同じく『日本少年』の1934年11月号にて彼の挿絵を見つけることができた。また師匠にあたる江島武夫が挿絵を描いた1933年の子ども向けの書籍『カナイソップ』でも描いていたことがわかった。1933年から1945年に彼が発表した日本での作品を現在調査している最中。北宏二が帰韓した1945年から日本に戻ってくる1959年までの資料も収集している。彼が韓国・朝鮮で活躍した時期は朝鮮戦争の時期と重なり、資料のないものが多い。彼が1959年に日本に戻ってきたのはUN軍からの要請であった。『ソウル・タイムズ』『コリアン・リパブリック』と英字新聞の担当であったキムヨンファンがUN軍に呼ばれたことは当然のことであるだろう。当時の朝鮮は物質が乏しく、極東指令部は日本にあり、その出版局も日本にあった。それが雑誌『自由の友』である。この英字新聞もちろん誌面には彼の代表的なキャラクター、コチュブも登場している。日本との活動の違いを「コチュブ」を通し論じた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
事前にこに作品があるかを把握していたことにより、資料のある図書館等にスムーズに行けた。しかしながら、あまりの作品量の多さにびっくりしている。また当初は韓国での活動における研究は当初の予定になかったが、招待発表をさせて頂いたときの彼の作品展示を鑑み、資料を探している。まだ探している最中ではあるが、韓国での作品と日本での作品の違いを論文で発表している。また韓国での金龍煥に関し、彼を知っていた人々へのインタビューも行えた。
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今後の研究の推進方策 |
戦後日本での金龍煥については、まだ手をつけていないので、1959年以降の彼の作品を探していく。彼は約15年の間、韓国にいたため、日本では不在期間となる。しかしながら、戦前、彼が活躍していた出版社の講談社でまた作品を描き始める。戦前は75万部を発刊していた大人気雑誌『少年倶楽部』で掲載し、戦後は日本マンガ史のメルクマールとなる『週刊少年マガジン』でも掲載している。空白期間があるにもかかわらず、戦後も日本での活躍をしていくことから、戦後資料を調査していく。
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次年度使用額が生じた理由 |
まだまだ資料集めをしているので、2019年度の交通費と複写費として使用する。
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