研究課題/領域番号 |
18K00151
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研究機関 | 京都芸術大学 |
研究代表者 |
牛田 あや美 京都芸術大学, 芸術学部, 准教授 (00468729)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 漫画 / 挿絵 / 雑誌 / 新聞 / 朝鮮 |
研究実績の概要 |
本年度は、北宏二(1945年~1959年、朝鮮・韓国で金龍煥名義)の活動期(現在分かっている限りで1933年)から1945年までの作品をデータ化した。 データ化に際し、彼の挿絵、マンガなどの調査を行った場所は、日本では国会図書館東京本館、国会図書館関西館、国会図書館国際子ども図書館、大阪府立国際児童文学館、神奈川近代文学館、相模原市立津久井郷土資料室、東京都立図書館、日本近代文学館目黒、立川市中央図書館、北海道道立図書館、昭和館、三康文化研究所附属三康図書館、そして各大学の図書館である。韓国においては韓国国立中央図書館、韓国国立子ども青少年図書館、韓国国立デジタル図書館、韓国国会図書館、韓国学中央研究院、大韓民国歴史博物館、プチョン漫画博物館であった。 彼の資料を多く持っている国会図書館東京本館、昭和館や韓国国立中央図書館では、調査した日には、資料として出ていなくとも、次に調査へ行くと出ていることが多かった。寄贈者のリストが続々と上がっていると考えられる。また北宏二の書籍は、戦後の日本にいない間に再販されており、戦前に初版が出版されている形跡が推測できた。しかし、その初版を探すことが困難である。また、書籍の挿絵、特に子供向けに書かれている世界名作全集は再販される際、挿絵家を変更していることも多い。 蔵書目録にあるカードや検索エンジンでは挿絵家の名前が出てくることがあまりなかった。一頁一頁と資料を確認していったが見逃してしまった可能性もある。署名のない場合、挿絵にあるサインから特定していった。サインはないが、おそらく北宏二だろうと思われる作品もあったが、それを除いた。書籍やインタビューの際に知った「彼がここに連載していた」という情報でも、現物や複製物が全く見つからないものも多かった。 データは、現段階で誰もがアクセスできる、私が目にした作品のみに限定をし、一覧とした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は日本での調査が中心となった。昨年度の2、3月、韓国において、資料集め、インタビューを計画していたが、新型コロナウィルスの感染症のため、途中で切り上げることとなった。本年度はコロナ禍となり、韓国への調査は断念せざるを得なかった。また日本においても調査に向かいたかったが、越県ができない期間があった。また多くの資料を所蔵している国会図書館東京館が抽選となり、スケジュール調整をすることが難しかった。 そこで、戦後における北宏二の作品を調査することとした。本研究では、戦前までの期間としており、戦後はこの研究が終わったあとに続けていこうと考えていた。なぜなら、戦後においての資料のほうが、圧倒的に探しやすいということと、多くが残っているのではと推測しており、とても三年間ではできない分量と考えていたからである。 戦後、彼は韓国系の新聞「統一日報」の顧問をしていた。そこで、調査してみると、一九七三年十二月から一九九〇年まで、時事漫画、四コマ漫画、挿絵を担当していた。もちろん全部を彼が担当してはいないと推測しているが、一九七〇年代を調査したところ、ほぼすべてを担当している。新聞であるため、休刊日を抜かし毎日である。多い時には時事漫画、四コマ漫画、連載小説の挿絵を描いている。時には、エッセイ漫画を描いていることもある。 また、挿絵や漫画だけでなく「文筆家」としても活躍していた。彼の記述から、戦前の彼の仕事について書かれていることもあり、今まで知らなかった作品を見つけることができた。
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今後の研究の推進方策 |
現在のコロナ禍の状況では、ソウルにある資料収集やインタビューは難しいと考えている。また、東京での資料収集も制限されるであろうし、インタビューはできないと危惧している。 昨年度、調査した戦後における日本での活躍をもとに、彼の戦前の作品を再度手繰り寄せ調査を進めていく。
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次年度使用額が生じた理由 |
昨年度の2、3月、韓国において、資料集め、インタビューを計画していたが、新型コロナウィルスの感染症のため、途中で切り上げることとなった。 本年度はコロナ禍となり、韓国への調査は断念せざるを得なかった。また日本においても調査に向かいたかったが、越県ができない期間があった。また多くの資料を所蔵している国会図書館東京館が抽選となった。調査できたものをまとめ、複写費のみ使用した。
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