研究課題/領域番号 |
18K00162
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研究機関 | 福岡教育大学 |
研究代表者 |
本田 代志子 福岡教育大学, 教育学部, 准教授 (70713527)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 生人形 / 風俗人形 / ホーレス・ケプロン / ウィリアム・ジョン・オルト / ラッセル・コテス / 美術商 / 花沼政吉 / ウムラウフ |
研究実績の概要 |
1870年から1920年頃にかけて欧米に渡った、日本で制作された等身大サイズの生人形、風俗人形の流通の背景を明らかにした。 1860-70年代は、長期の日本滞在者が生人形見世物興行を見学するなど、直接の情報を得て、人形師へ発注していたものが主で、その北海道開拓使お雇い教師のホーレス・ケプロンや、長崎の商人ウィリアム・ジョン・オルトなど、収集家は日本で政治的、経済的立場がある人物であった。 1880年代~1910年頃は、個人の訪日客が増加し、横浜や神戸の美術商は店舗での陳列販売や特別注文を引き受けていた。この時期の収集家による美術工芸品は、イギリス・ボーンマスのラッセル・コテス・アートギャラリー&ミュージアムやドイツ・ハイデルベルクのフォン・ポルトハイム基金ハイデルベルグ民族学博物館などに収蔵されている。これらの個人収集家は、人形への特別な関心を示したというよりは、一度に大量に収集した美術工芸品のなかで、日本の風俗を伝えるひとつのジャンルと捉えていたのではないかと考えられる。 また、19世紀後半よりヨーロッパでは日本美術への関心が高まり、各地の美術商は万博での払い下げ品のほか、日本と往来のある商業船への委託や、日本の外国系美術商と連携して、美術品を取りそろえ、販売していたと考えられる。 欧米への流通では、美術商を通して海外に販売網を得ていた花沼政吉のような人形師や、作品の写実的表現が高く評価されている人形師の作品が伝わっているといえる。その後、欧米の博物館での民族学展示の高まりとともに、ドイツのウムラウフ社のように等身大の展示用人形が制作され、広まっていったことが、日本製の等身大の人形の流通に変化をもたらしたと考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
コロナの影響により、海外調査が計画どおりに進んでいない。そのため国内での資料調査を中心に進めた。
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今後の研究の推進方策 |
2023年の夏から秋にかけて海外調査を行い、計画を推進させる予定である。また最終年のため、成果発表の準備を進める。
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次年度使用額が生じた理由 |
2022年の秋頃まで、コロナの影響により海外調査の計画を進めることが出来なかったため。2023年の夏の海外調査を中心に計画を実現させる見込みである。
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