研究課題/領域番号 |
18K00186
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
平川 佳世 京都大学, 文学研究科, 教授 (10340762)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | ヤン・ブリューゲル / 物語画 / ナラトロジー / 風景画 / ピーテル・ブリューゲル / 素描 / 油彩画 / 絵画の構想 |
研究実績の概要 |
巨匠ピーテル・ブリューゲル(父)の次男であるヤン・ブリューゲル(父)は、動植物や風景の専門画家として生前より高い評価を受けてきた。本研究では、ヤンが描いた物語画に着目し、これまで等閑視されてきた画家の本領域における活動実態を明らかにし、既存の絵画観において見過ごされてきた文化的文脈を再構成することを目的とする。 五年次にあたる本年度は、風景の専門画家であるヤン・ブリューゲル(父)が、物語表現を構想し発展させる過程を、素描や物語テキスト、寓意的モチーフなどの分析に基づいて解明することを試みた。人物表現を得意とする通常の物語画家は、物語画制作に際して、人物の身振りや感情表現、配置など、人物主体で構想を練ることが一般的である。これに対して、風景表現を得意とするヤンが物語画を描く場合には、まず、各地を逍遥して印象的な実景を写生し、その風景の特性に見合った文学的典拠を求め、登場人物を風景に効果的に配置して物語画として完成させる、という手順を用いていた。さらに、同種の物語構造をもつ他の文学的典拠を用いて、同じ風景を用いながらも異なる主題の物語画に仕上げるというヴァリエーションの制作手法も解明された。例えば、ヤンは、1604年のプラハ滞在の折にプラハ近郊の森で目にした、大木を境に左右に分かれる、印象的な森の分かれ道を写生素描にしたため(大英博物館蔵)、この「分かれ道」を利用して「エルサレム入市前のイエス」を主題とする油彩画を制作し(1604年、ウフィツィ美術館蔵)、その後、さらに「悪魔に誘惑されるイエス」を主題とする油彩画(1604年頃、ウィーン美術史美術館蔵)を描いている。つまり、分かれ道の実景に触発されて、「岐路に立つ人物」という物語主題が選択されたのである。このように、ヤンにおいては、「舞台設定」を主体に物語が選択されるという、通常の物語画とは逆の制作過程が確認されるのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
昨年度に引き続き今年度も、新型コロナウィルスの世界的流行に加えてウクライナ戦争のため、当初予定していた海外での作品調査や資料収集を見送らざるを得なかった。このような、西洋美術史研究には極めて不利な状況下、当初の研究計画をできる限り十全に遂行するため、昨年度に引き続き、主として次の方策を講じた。 ①国内研究機関の蔵書を最大限利用する。②インターネットを通じてデジタルで入手可能な史料を徹底的に収集する。③海外の美術館と頻繁に連絡をとり、研究上重要な作品については、高画質デジタル画像を入手する。④海外での調査再開に備え、研究費の使用をできる限り抑制する。⑤新規の現地調査を断念する代わりに、これまで入手した資料を一層精査することにより、現地調査再開に向けた準備を万全に整える。⑥国内外の研究者との意見交換や研究成果発表に、Zoom等のオンライン・プラットフォームを積極的に活用する。 こうした様々な工夫によって国際情勢が引き起こした弊害をできる限り減じた結果、昨年度同様、研究計画をおおむね順調に進展させることができた。とりわけ、これまで収集していたヤン・ブリューゲルの油彩画や関連一次史料に加え、高画質画像が入手可能な素描を入念に調査した結果、ヤン独自の物語画制作のプロセス解明にむけての手がかりを得たことは、大きな成果と考える。また、これまでの研究成果を取りまとめた欧文論文2編を執筆し、2023年に国際共著論集として刊行の見込みを得たことは、先述の方策が功を奏したものであり、本研究に関する大きな成果である。 次年度にあたる2023年度は、現地調査を再開すべく、すでに準備を整えている。その際には、オンライン上で学術交流を深めた研究者との対面での意見交換や、デジタル画像ですでに精査済みの作品の実見調査などが予定されており、満を持した成果が期待される。
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今後の研究の推進方策 |
本研究は、当初、2018年度から2021年度の4年の期間を計画していた。しかしながら、周知のとおり、新型コロナウィルスの世界的感染拡大および新たに勃発したウクライナ戦争に起因する欧州の政情不安に伴い、海外調査が実施できず、補助金に見合った研究成果を確保すべく、研究期間の延長を余儀なくされた。 こうした外的要因による研究期間の延長を研究の質の向上に結び付けるべく、本研究では積極的にDX(デジタル・トランスフォーメーション)を進め、高画質デジタル画像の活用、ZOOM等を用いての国際学術会議への出席、国内外の研究者との意見交換、研究成果の国際的発信などを進めている。その成果として、2023年度には、アムステルダムなどにて刊行される国際刊行物に研究成果論文が所収されることが決定している。 2023年度は、コロナ禍の収束を受けて、海外に渡航し、現地調査を行うべくすでに準備を進めている。2023年度に行われる現地調査がこれまで申請者が行ってきた現地調査と大きく異なる点は、数年間継続したコロナ禍の過程で、デジタル画像などを用いで、これまで以上に十分な予備調査がすでに行われているという点である。これは、芸術作品を第一次資料として取り扱う美術史学においては長短両方の側面を有する。短所としては、先入見を伴う芸術作品の実見により、作品から直観的に得られる情報がゆがめられる可能性がある点、長所としては、十分な情報を得て臨む作品の実見調査においては、通常をはるかに上回る集中度と精度でもって作品観察ができる点である。今後の調査においては、こうした点を十分に自覚しつつ、より高い成果が得られるよう努める。加えて、これまでデジタルの世界で構築した国際ネットワークを対面による意見交換によりさらに強化し、国際共著の刊行や一層広範な研究ネットワークの構築への足掛かりとする。
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次年度使用額が生じた理由 |
本年度は昨年度に引き続き、新型コロナウィルスの世界的感染およびウクライナ戦争を受けて、当初計画していた海外調査を実施することができなかった。新型コロナ感染が終息すると予想される次年度に充実した形で海外調査を行うため、研究期間延長の申請を早期に決断し、研究費使用の抑制を図った。そのため、このような次年度使用額が生じたのである。 これらの経費は、次年度、研究計画に則った研究調査を欧州等で集中して行うことにより、使用する。とりわけロシアによるウクライナ侵攻は中欧を重要な研究拠点とする本研究計画の遂行に多大なる支障となると言わざるを得ない。そのため、安全を最優先しつつ、適切な時期を見極め、効率よく現地での調査研究を行う所存である。 また、昨年度同様、研究のDXおよび国際化を一層推進し、国際的な共著出版や研究発表に引き続き尽力する。そのための、デジタル機器の補助購入および、英文校正料、画像使用料などの経費にも研究費の一部を充填する。画像使用料については、国際的な基準が未だ定まっておらず、法的根拠が不十分な形で高額の使用料を請求されることも稀にある。しかし、公金という科学研究費補助金の性質に十分に配慮して、常に国際的慣習に則った適切な画像使用料の支払いに留意する。また、インターネット上での研究成果公表に関しても、公共性の観点から、各種プラットフォームを利用して積極的に取り組む所存である。
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