本研究は、日本の中世に起源をもっている音曲の担い手らが、口頭伝承の中で習得しているリズムや旋律を、彼らがもっとも適切だと感じる次元において把握することをめざしている。 初年度(2018年度)は、能楽師、声明家、民俗芸能の担い手に対して、インタビューをおこない、楽譜の存在意義についての知見(あるいは考え方)を蒐集した。2年目の2019年度は、主に民俗芸能(題目立)の復活上演にとりくみ、必要な記譜法を考案した。並行して、能楽の新しい記譜法の考案をおこなった。3年目の2020年度は、能楽〈羽衣〉の映像に添えるための楽譜の完成に向け、出演した音楽家へのインタビューをおこなった。楽譜の記号の精度を高めて〈羽衣〉の映像への貼り付けの第一弾を完成させた。 2021年度は、映像に貼り付ける楽譜の更なる改訂作業をおこなった。前年度に完成させていた総譜に、各楽器パートの手の名前や舞の型を付加して、舞台の動きも示す総譜を完成させた。年度の最後に、これを映像に貼り付けたものをウェブサイト上に発表した(羽衣 楽譜付(その2))。さらに、出来上がった総譜の部分部分に注釈を施した。注釈では、従来あまり明確に語られてこなかったパート同士の関係のあり方(どのように他と合わすか)に、特に注意を向けておこなった。 能楽の楽譜は、笛、小鼓、大鼓、太鼓、シテの型など、パートごとに存在するのが当たり前で、それらが一覧できるような形、つまり総譜のかたちで併置されるものは、これまで全く存在していない。本研究によって生まれた「能楽の総譜」は、従来は必要とされなかったものかもしれないが、未来において、能楽の楽譜のあり方、そして鑑賞のあり方を変えていく可能性を持つものであると思われる。また、能楽や伝統音楽における楽譜の存在意義について、新たな考察を導くための素材ともなるであろう。
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