入手済のノーベル賞選考文書と、日本国内で調査可能な事項に関して検討を進め、主に戦前期の日本の研究者に対する国内外の評価の変遷についての概要を得ることに成功した。明らかになったのは以下のような事情である。 日本全体で見れば、1949年の湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞の影響は大きく、とりわけ国内の研究者は、これにより大きな自信を得るに至った。湯川秀樹の受賞以降は、それ以前の半世紀には数件にとどまっていた物理学賞・化学賞への、国内の研究者によるノーベル賞への推薦も増えた。一方で、湯川に次いで1965年に物理学賞を受賞した朝永振一郎の事例のように、国外からの推薦が必ずしも多いとは言えない場合に、注目を浴びた他の国外の科学者の業績が検討されることにより受賞者に含まれていくといった経緯が確認されることから、戦後も、国際的な評価の高まりがノーベル賞の受賞をもたらすというよりは、ノーベル賞の受賞によって日本の研究成果の意義が確認されるという状況であったこともわかる。 一方、生理学・医学賞への推薦に即して見られる通り、北里柴三郎・野口英世・山極勝三郎のように、国外からも高く評価される業績を挙げながら、日本の研究者の当該分野のノーベル賞受賞が遅れたために、国際的には漠然とした印象に基づく低い評価がなされ、国内では、現実の研究成果に比して人種等に基づく不当な判定がなされているとの、これも漠然とした印象が定着する事態も確認されることが明らかになった。 また、ノーベル賞受賞者が10人に1人程度の頻度で現れるに過ぎなかった20世紀後半と、数年に1人は日本出身の科学者の受賞がみられる21世紀に入ってからの四半世紀とでは、ノーベル賞に対する感覚には大きな変化がみられる。ただし、こうした事態は、国際的には日本の科学への高い評価を導くものとなっても、国内では必ずしも同様の評価を生んではいない。
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