1949年の湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞の影響は大きく、以後、物理学賞・化学賞への国内の研究者によるノーベル賞への推薦も増えた。一方、1965年に物理学賞を受賞した朝永振一郎の事例のように、同種の業績との関連での推薦を受ける傾向が強い場合があり、ノーベル賞の受賞によって日本の研究成果の意義が確認されるという状況も続いた。 生理学・医学賞への推薦に即して見られる通り、山極勝三郎のように、国外からも高く評価される業績を挙げながら、ノーベル賞受賞が遅れたために、国際的には低評価が続き、国内では、研究成果に比して不当な判定がなされているとの印象が定着する事態も確認されることが明らかになった。
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