実施計画で3年目に予定していた国外調査、さらに学生アルバイトでの図書整理が不可能となった。代替策として寺田弘旧蔵毛皮文献の書誌情報およびドイツ語の貴重書である「毛皮の世界から」と「毛皮職人とその象徴」の翻訳ノートのテキスト入力を業務委託した。これにより国内最大の毛皮関連文献目録が一応完成しインターネットで公開した。そして約100年前のドイツでの毛皮研究の到達点を日本語で紹介した研究資源として利用することが可能となった。 遠洋オットセイ猟業はインターネットを利用した文献調査から、使用した木造帆船は近世技術を継承した地方の造船所が建造することが多く、完成品を輸入した捕鯨とはまったく異なる技術利用であることがわかった。 ミンク毛皮産業に関しては札幌での公文書調査が未遂となったが、業界紙「毛皮新報」(1953-1994)「北海道ミンク新聞」(1962-1981)、1960年代の農林省研究者の報告などから業界の記録を収集した。これらの情報はこの30年間の報告では引用されていないものである。聞き取りは北海道東部で1件実施することができた。大手交配や出産の出来事、屠殺作業、従業員の居住、企業を越えた養殖従業員の移動などの情報を得た。養殖場の所在については国土地理院空中写真閲覧サービスを利用し、1960-1980年代の東北地方から北海道の養殖場の場所を特定した。 養狐事業については群馬県北軽井沢で事業者の親族から聞き取りができ、写真の記憶と戦前の雑誌記事や広告との照合から当地では養殖事業者が製品販売の商談までおこなう業態だったことがわかった。 その他、新潟・長野・群馬の各県で地方統計を収集、寺田弘氏の出身地である新潟県水原で郷土史家から毛皮事業の認識を確認した。いずれの他方でも毛皮獣の養殖や関連事業は地域の歴史との認識が少なく、自治体史や集落史での記載が少ないことが明らかとなった。
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