最終年度となる本年は、①昭和40年代以降、種痘後の「副反応」が社会的に問題とされるようになった経緯の捕捉と並行して、②近世期以降、そもそも予防医学(「衛生学」)がどのように日本の教育・医学・行政の領域に導入されたかを資料により跡づけた。 ①については、国内外での補足調査が行えなかったため、すでに収集済みの資料(明治期以降の種痘の「副反応」を報告する医学論文・医学書、「副反応」関連の新聞記事等)をもちいて、概況を把握した。 ②については、18世紀よりヨーロッパで研究されるようになったHygieneが、日本で幕末期より「西洋養生法」「健全学」「養生論」として翻訳され、明治期以降、初等小学過程や医師開業試験の必須科目に組み込まれる過程を整理し、内務省衛生局の設置をもって日本の公衆衛生の始動とみなす通説に対して新たな視点を提供した。
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