『平家物語』の古典文学作品であると同時に、描かれた歴史と人物たちは長い時日をかけてこの国の空間に浸透した「共有される知識」(教養)として存在した。共有された知識は、ときに想像力を以て「地域」の差異を示し、ときに「中央」との同化を図る文化的装置でもあった。特に明治期から大戦時における「郷土史」をめぐる文化的営みは、歴史学においては実証性の観点から排除され、民俗学では柳田國男の研究からさして進展していない。叙上の現状を超える試みとして、各地の「郷土史」の具体相を明らかにし、「地域」の文化史を再発見していく点において本研究の学術的意義が見出だされる。
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