『紫式部日記』本文の校本を作成するための、基礎作業をおこなった。 これまで、宮内庁書陵部蔵黒川家旧蔵本(黒川本)を軸とした、肥前島原松平文庫本(松平本)、版本の扶桑拾葉集の翻刻本文、字母レベルでの本文比較をおこなう本を作成した(『紫式部日記本文資料集』)。今回の研究では、版本の扶桑拾葉集を軸として、群書類従本、紫式部日記傍注本の翻刻本文、字母レベルでの本文比較ができる本を作成した(『紫式部日記本文資料集続』)。これによって、紫式部日記の代表的写本である黒川本と松平本、版本の扶桑拾葉集本・群書類従本・傍注本のそれぞれを比較検討することが容易になった。 本研究での成果により、黒川本は歴史的仮名遣いが統一されておらず、それに対して松平本は仮名遣いが統一されていることが明確となった。また、黒川本はその手跡から、二人の人間により書かれており、さらにどうやら親本の字母遣いをそのまま継承してはいないことが明らかとなった。黒川本と松平本はきわめて近しい関係にある写本とされているが、どうやら松平本はかなり手を加えられているらしいこと、黒川本はいささか粗雑な書写がされていたらしこと、が明らかとなった。また字母の比較などから、黒川本と松平本は、共通した親本を有する兄弟の関係にあるとか、あるいは黒川本を祖として松平本が書かれた親子の関係にあるという、そういう単純な系統図は描けないことが明らかとなった。今後は、これらの研究の成果を論文化していく予定である。
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