【最終年度の研究成果】 ①単著「『往生要集外典抄』出典考――『文選』の利用を中心に」(『京都産業大学論集 人文科学系列』第55号、2022年3月)288-276(逆頁)頁、査読有り。②単著「『袖中抄』と類書」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』第27号、2022年3月)1-19頁、査読有り。③単著「袖中抄と大観本草」(『和漢比較文学』第68号、2022年2月予定)頁数未定、査読有り。 守覚法親王が主宰したサロンの構成員であった平基親と顕昭との著作から守覚の蔵書を復元した。①②③を通して守覚が『白氏六帖事類集』『修文殿御覧』『経史証類大観本草』の三書を蔵していたことを推論した。くわえて前二者が従来日本に伝存していた鈔本、後者が新渡の南宋刊本と推されることを指摘した。 【研究期間全体を通じて実施した研究の成果について】 守覚法親王は後白河院の第二子にして仁和寺第六代御室をつとめた貴人である。その蔵書は当代有数の質と量とを誇ったと推される。そのうちに南宋の出版物がどれほど含まれるのかを通して、12世紀後半における南宋出版文化の流入状況を推論しようというのが本研究の企図であった。12世紀前半の鴻儒・藤原敦光の著作において南宋出版物の利用はほぼなく、同世紀後半の守覚でさえ、なお南宋の出版物の所蔵は限定的という結論を得た。中国書籍史において南宋は坊刻本が盛行し書籍量が増加した時期とされる。このことはいくらかのタイムラグを経て日本の漢籍輸入量に影響したと考えられる。ただ本研究が明らかにした文献的状況から、南宋の出版物が本格的に日本に流入したのは13世紀になってからであり、12世紀当時はなお漸次的であったと推論できる。
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