当初は『万葉集』の巻第3・4を対象として、古代史学・考古学の手法を用いた万葉研究者のための支援ツールの作成と、それを土台とした歌の再解釈のための方法論の構築を目的として始めたが、途中で前課題の補訂の重要性に気づき、またコロナ禍での各種制限が合わさり、最終的には対象を巻第3と前課題の補訂中心に切り替えることとなった。 補訂部分の主要な点は、巻第1での吉野宮(宮滝遺跡)の新情報を取り入れ、巻第2の大津皇子・大伯皇女の関係で重視される斎宮跡の新たな多くの発掘成果を盛り込み、そのほか出土木簡から柿本人麻呂の所属に関する手がかりを提示し、島庄遺跡の遺構からは「勾池」をはじめとする場所の比定、「泣沢の神社」の推定地に神社はなかったことなどを指摘し、万葉歌と同じ歌句をもつ歌木簡についても新たな釈読案を提示した。 巻第3においては、データ収集や分析するなかで、たとえば豊前交通路近辺の遺跡の発見など新情報が出てきた一方で、拡大解釈された発掘事例や、見落とされていた故地の発掘事例、木簡に万葉歌と同じ語句表現がみられても再解釈に及ばなかった事例などがみられ、逆に当然あるものと思っていた遺構が、同時期に限るとほとんどないことなども見えてきた。また、万葉研究の分野であまり注目されてこなかった竹原井頓宮や藤原不比等邸の池など、発掘調査の成果があるけれども万葉研究に生かされていない事例も存在した。 これらの点については、成果報告書の「解説」でふれている。そこでは遺構の解釈をしてから万葉歌の解釈に入るという方法論の提示につとめている。今回の研究成果は、全体として方法論の提示ができたことはもちろんであるが、同時に万葉研究そのものの課題があらためて浮き彫りになったとも言える。 なお、最終年度は、研究成果報告書『万葉研究における学際的共有化を推進するための方法論の構築』を刊行するための編集作業に徹した。
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