最終年度はこれまでの調査等によって得られた研究成果をまとめ、近世肥後歌壇に関する研究発表等を行った。 前年度から研究を進めてきた肥後熊本藩主細川治年の末女細川就(久我美子)の文事について、『東海道御道の記』『桂能里の紀行』の紀行文二種ならびに没後に刊行された『桜木集』の伝本について調査・整理した。また、永青文庫に蔵される就が蒐集した書籍や藩主たちとの書簡の記録から、有栖川宮織仁親王の歌道・書道門人としての就の文化活動と、一条忠良を中心とする堂上歌壇との関わりについて明らかにし、略年譜を作成した。就が織仁親王へ入門した後、第九代藩主斉樹室の紀姫や、斉樹の妹で一条忠良室のたい姫が書道入門するなど、就の入門を契機として細川家の人々が続けて有栖川宮家へ入門していることが分かる。また、就の蔵書コレクションや書簡のやり取りから、細川幽斎の二百回忌をめぐって堂上歌壇と熊本藩の双方に対して就が積極的に追善和歌勧進を働きかけていたことなども明らかとなった。織仁親王薨去後、その後を継いだ韶仁親王に就は幽斎像の賛に見られる秀歌三首の書写を所望しており、『桜木集』上・475番歌の詞書には、文政13年の幽斎忌にも幽斎像を掲げて追善供養を盛大に行ったとある。就は幽斎の更なる神格化にも関わったと目される。なお、『東海道御道の記』の伝本間の異同と註釈、『桜木集』の註釈を作成しており、学会誌等で発表する予定である。 以上に加えて、以前より準備を進めていた鹿児島県垂水市の手貫神社に蔵される幕末期の奉納和歌28点について垂水市の郷土史を研究している方々と共同で翻刻を作成し、資料集にまとめた。
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