今年度は、前年度から継続して明治から戦後期の日本文学におけるナショナリズムについて、「ケルト」イメージの生成と変容という観点から通時的に考察した。明治期日本において、「日本」の特殊性を模索する動きが芽生え、その際に日本文学には日本人の特殊性が表れているというロジックが用いられた。そのようなロジックと英国からの自治・独立を目指すアイルランド情勢が盛んに報道され、文学者がアイルランド文学に目を向けた点が軌を一にしている点に着目した。近代日本でアイルランド文学における農民・農村表象やアイルランド農政が注目された動向には領土拡張戦争を経て日本が東アジアへの勢力を拡大していったという時代背景がある。日本近現代文学史におけるケルトへの関心とその利用の背景には、人種・民族に固有の「国文学」を求めた日本文学史観の問題と政治的背景が存在していたことを明らかにし、研究成果を共著書『ケルト学の現在』(2024.3)にまとめた。 本研究課題の目的は、戦中戦後期の日本文学におけるナショナリズムに関して、アイルランド文学の日本及び東アジアにおける受容とその意味付けの変容に着目することで実証的に明らかにすることであった。本国では英国からの独立運動と結びついて展開したアイルランド近代文学は、戦時下日本において国策化した農民文学の理論に組み込まれる一方で、「反英的」な英語文学として積極的に国民演劇、農民文学運動において受容された。しかし、戦後では一転して木下順二らによって、アイルランドと占領下日本の状況が重ね合わされる形で受容され、民衆の方言使用、民話劇、アジア・アフリカ諸国の民族運動を題材とするエッセイや戯曲創作のための新たな視点を提供した。本研究では、土地、国家、民族を問題とする際に、戦中戦後を通して重要な参照項であったアイルランド文学の受容を手がかりに、日本文学・演劇の諸相を明らかにした。
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